ヨブ記16章

16:1 ヨブは答えた。

16:2 そのようなことは、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手だ。

 友たちの言葉は、何の慰めにもなりませんでした。彼は、ヨブの言葉を聞いても、何の変化もありませんでした。同じ言葉の繰り返しです。自分たちの考えに問題があることをわずかでも認識しようとはしなかったのです。

16:3 むなしいことばには終わりがあるのか。あなたは何に挑発されて答え続けるのか。

 彼らは、何かに挑発されたように答え続けました。神の前にヨブが大きな災いを受けているのは、ヨブの罪のためであると考えたので、ヨブが回復できるように強い言葉で勧めたのです。人の勧めを聞かなければ、人は、諦めたり、もうそれ以上関わらない態度を取ります。しかし、友たちは、ヨブを見捨てることできませんから、繰り返し強い言葉で勧めたのです。もちろん、聞かない人に攻撃的になる場合もありますが、論外です。そのような人格の人に愛はありません。友たちは、ヨブの回復を願ったのです。

16:4 私も、あなたがたのように語ることができる。もし、あなたがたが私の立場にあったなら、あなたがたに向かって私は多くのことばを連ね、あなたがたに向かって頭を振ったことだろう。

16:5 この口であなたがたを強くし、唇による慰めを惜しまなかったことだろう。

 友たちが、ヨブのように苦しみを受ける立場であったならば、友たちのように語ることができると言いました。それは、友たちの霊的水準は、低いからです。彼らの言い表しのように、神の前に正しい者はいないというのが彼らの考えであり、とりもなおさずそれは、彼らがそのような状態にいたことを表しています。彼らは、実際的な罪を犯すということを繰り返しているような者であるのです。ですから、彼らがヨブの罪を責めたように、彼らの罪を指摘することは、難しいことではないのです。そして、頭を振ることは、そのような罪を嘲ることを表しています。

 そして、罪からの回復のために、自分の口で話し、彼らを強くし、さらに、唇を動すことを惜しまなかっただろうと。ここでは、単に言葉だけで力付けることを強調しています。いくらでも喋れると言っているのです。

・「立場」→たましい。霊的歩みの状態のこと。

・「唇による慰め」→唇の震え。連語。話すために唇を動かすこと。慰めは、意訳。

・「惜しまない」→抑える。

16:6 たとえ私が語っても、私の痛みは抑えられません。たとえ私が忍んでも、どれだけ私からそれが去るでしょう。

 ここからは、ヨブ自身のことを語っています。彼がたとい語っても、自分の痛みは、抑えられないのです。また、忍んだとしても、それは去っていかないのです。

・「抑えられる」→抑える。前節の、惜しまないと同じ言葉を使っている。

16:7 まことに神は今、私を疲れ果てさせました。あなたは、私の仲間をみな荒れ果てさせました。

 神は、今、ヨブを疲れ果てさせました。そして、彼自身の全てを荒れ果てさせました。「仲間」は、集団を意味しますが、自分の集団です。自分が属する集団ではなく、自分のものの集団で、これは、彼の体の各部の集合体として自分を捉えているのです。

・「仲間」→集会。会衆。集団。ここでは、私の集団。自分が属する集団ではない。

16:8 あなたは私をつかみました。自分の痩せ衰えた姿が証人となり、私に向かって立ち上がり、面と向かって不利な証言をします。

 主は、ヨブをつかみました。それは、ヨブを責めるためです。ヨブに対して集中的に事をなすことの表現です。彼を訴える証人は、彼自身のやせ衰えた姿です。それ自体が証人になることはないので、これは、比喩ですが、彼が痩せていることが証拠であるという意味です。彼をそのような姿にしたのは、主ですが、彼の姿は、主が彼を責めた結果であり、彼の罪が責められた証拠です。

16:9 神は激怒して私を攻めたて、私に向かって歯をむき出される。私の敵は私に向かって目を鋭くする。

 神は、激怒してヨブを引き裂き、歯をむいたのです。敵対者は、視線を鋭くします。この敵対者(単数)は、神です。

・「攻めたて」→引き裂く。

16:10 彼らは私に向かって大きく口を開け、そしりをもって私の頬を打ち、こぞって私を攻める。

 ここからは、「彼ら」と記され、複数形になっています。これは、神のことではなく、三人の友のことです。彼らは、ヨブを責める言葉を語るのです。そして、その罪をそしり、彼の頬を打つがごとくです。こぞってヨブを責めています。

16:11 神は私を不遜な者に引き渡し、悪しき者の手に投げ込まれる。

 不遜な者と記されている者は、この場合サタンのことです。彼への攻撃は、人の手によるものだけではありませんでした。悪しき者の手に任せたのです。

・「不遜な者」→不敬虔な者。単数。

16:12 私は平穏でいたのに、神は私を引き回された。首筋をつかんで私を粉々にし、そうして、ご自分の標的とされた。

 そうされたのは神であり、自分は平穏でいたのに、粉々にしました。そして、首筋を掴み、散らされました。そして、ご自分の標的とされました。

16:13 その射手たちは私を包囲した。神は私の腎臓を容赦なく射抜き、私の胆汁を地に流された。

 神の射手たちは、彼を包囲ましした。矢は、御言葉による裁きの比喩です。貫き刺し通すことを表しています。

 腎臓は、たましいの比喩です。主は、彼の御言葉に従う歩みを評価し、これを裁いたのです。

 胆汁は、胆が内住の罪を表していて、そこから流れ出た罪の教え、考えを表してます。内住の罪自体は、処罰の対象とはなりませんが、主は、その誤った考えを刺し貫き、裁いたのです。御言葉に照らして裁きました。私たちは、内住の罪を消すことはできません。本来は処罰の対象でないものを神が裁いていると考えました。

・「その」射手→神のこと。神の射手。

・「腎臓」→たましいの比喩。

・「胆汁」→肝に入っている消化液。肝は、その人のうちにある内住の罪。胆汁は、その教え。

16:14 神は私を打ち、打ち破って、勇士のように私に襲いかかられる。

 彼の苦難は、神が勇士のように襲い掛かったことによると言い表しました。

16:15 私は粗布を肌に縫い付け、自分の角をちりの中に突き刺した。

 粗布は、自分を現すことを捨てることを表しています。自分の栄光を現さないのです。かれは、神の懲らしめとして苦しみを受け取っていましたから、悔い改めの態度を示す粗布を身に着けました。それは、肌に縫い付けたように、常にその状態にありました。

 角は、彼の力を表しています。ちりは、価値のないものの比喩です。角を塵の中に突き刺したことは、彼の持つ力は、全く価値のないものとして表明していることを表します。

 彼は、苦しみの中で、決して傲慢ではありませんでした。ことごとく自分を低くし、神の懲らしめを受け止めていたのです。

16:16 私の顔は泣きはらして赤くなり、まぶたには死の陰がある。

 彼の顔から喜びは失せ、悲しみの果ての状態の赤い顔でした。瞼は、目と関係していて、信仰と関係しています。そこには、いのちの喜びはなく、神の言葉に従ういのちは、ありませんでした。

・「死の陰」→死と陰の二語からなる。いのちの光のない状態。

16:17 私の手には暴虐がなく、私の祈りはきよいのだが。

 彼は、苦しみを受けて、自分を低くしましたが、しかし、彼の手には暴虐はありませんでした。そして、祈りは清かったのです。

16:18 地よ、私の血をおおうな。私の叫びに休み場がないようにせよ。

 それで、彼の血が流されたとしても、それは、自分の罪のためではないのだと。だから、地に向かって血を覆うなと言いました。彼の叫びは、自分の罪のためではないという叫びです。

16:19 今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。

 ヨブは、今でも天に証人がおられることを信じていました。その方が執り成してくださることを期待しています。執り成し手としての主イエス様を覚えています。

 また、その方は、彼のことを知っていて、贖う方です。

ヨブ記

19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。

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・「証人」→証人。

・「保証人」→証人。

16:20 私の友は私を嘲る者たち。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。

→「神は、私を私の友に嘲らせ、私の目は、涙を流します。」

・「しかし」→これを意味する接続詞は、原語にない。

16:21 その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。

 その方が、人のために証明してくださいますようにと願いました。人の子が友のためにするようにと言いましたが、三人の友は、それがなかったのです。それを天におられる方に期待しました。

 なお、彼が期待したのは、証人です。この動詞は、そのことに対応しています。

・「とりなして」→決定する、さばく、証明する。

16:22 数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくのですから。

 彼は、今の健康状態から、数年先には、死ぬと考えていました。彼は、死を恐れていたり、それを避けようとしていたのでないことは明らかです。それが神のおぼしめならば、死さえ喜んで受けると言いました。彼は、今の苦しみのまま、理由がわからずに死ぬことがないように願っています。神の御心を知ることができることを願っていたのです。彼は、今、神が彼の罪を責めていると考えていましたから、神とともに歩むという経験ができません。彼は、苦しみの理由を知るとともに、再び神とともに歩みいのちに与りたいと願っているのです。

▪️「頭を振る」→嘲ること。

列王記第二

19:21 主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。

イザヤ書

37:22 主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムは、おまえのうしろで頭を振る。

エレミヤ書

18:16 彼らの地を恐怖のもととし、永久に嘲りの的とする。そこを通り過ぎる者はみな、呆気にとられて頭を振る。