ヨブ記15章

15:1 テマン人エリファズが答えた。

15:2 知恵のある者は、むなしい知識によって答えるだろうか。東風で腹を満たすだろうか。

 エリファズは、御心を知り、受け入れている者として、むなしい知識で語ってはいないと言いました。東風で腹を満たそうとすることはむなしいことです。彼らは、無用な医者だと言われました。彼らは、ヨブに対してヨブに当てはまらない空しい言葉をかけていたのです。

 彼らの言葉は、一面では正しいのです。しかし、ヨブに対する適用が誤っていたのです。ヨブの苦難を彼の罪のためであるとすることが正しくないのです。

・「知恵ある者」→形容詞。知恵は、神の御心や計画を受け入れ、従う分別。また、それらを語る分別。

15:3 益にならないことばで、役に立たない論法で論じるだろうか。

→「彼は、役に立たない話で、あるいは、益にならない話しで論じるだろうか。」

 知恵ある人の言葉は、役に立たない話であろうか。また、益のない話であろうかと問うています。彼は、知恵者という第三者について語りましたが、彼自身を含めて語っています。

 なお、後半は、「論法」と訳していますが、論法ではなく、話や言葉という意味です。話の組み立てとしての論法は、話をする時大切ですが、そのことを言っているのではなく、内容を意味しています。

・「益にならない言葉」→役に立たない話。

・「役に立たない論法」→益にならない話。論法ではなく、話や言葉。

15:4 あなたは敬虔を不要と見なし、神の御前で祈るのをおろそかにしている。

 そして、ヨブが、友たちの言葉を受け入れないことに対して、敬虔を不要とみなしていると断じました。神の前に罪を捨て、神を呼び求めることを求めたのですが、ヨブは、自分が指摘のような罪を犯している者ではないと主張しているのです。それを捉えて、敬虔であることを否定しいるとしたのです。

 さらに、罪を捨てて神の前に祈ることを勧めたのです。彼らの指摘は、ヨブが罪を犯し、子供たちも罪を犯したからこのような災いが来たというものですが、その指摘自体が誤っているのです。それなのに、祈りをおろそかにしていると言っています。

ヨブ記

8:1 次に、シュアハ人ビルダデが答えた。

8:2 いつまで、あなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にすることばは激しい風だ。

8:3 神がさばきを曲げられるだろうか。全能者が義を曲げられるだろうか。

8:4 もし、あなたの子らが神の前に罪ある者となり、神が彼らをその背きの手に渡されても、

8:5 もし、あなたが熱心に神に求め、全能者にあわれみを乞うなら、

8:6 もし、あなたが純粋で真っ直ぐなら、今すぐ神はあなたのために奮い立ち、あなたの義の住まいを回復されるだろう。

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15:5 それは、あなたの咎があなたの口に教え、あなたが悪賢い人の舌を選んでいるからだ。

 そして、なぜヨブがそのようにしているのかという原因までも指摘しました。それは、ヨブの咎が原因していて、その咎のために指摘のような態度を取り、語っているのだと。咎とは、犯された罪のことです。彼の内にある罪のことを言っているのではありません。咎を犯したが、自分を正当化しようとしていて、そのようなことを語っているのだと。彼の言葉は、悪賢さから出ているのだと。純粋に神の前に自分の罪を認めるのでなく、それをごまかそうとする悪賢さから来るのだと。

15:6 あなたの口があなたを不義に定める。私ではない。あなたの唇が、あなたに不利な証言をする。

 それで、ヨブの語ったことが彼を罪に定めのだと。エリファズが指摘するから不義に定められるのではないと。彼の言葉が、彼に不利な証言となると。

15:7 あなたは最初の人間として生まれたのか。丘より先に生み出されたのか。

 この問いは、次節の問いとつながっていますが、最初の人間として、神との親しい交わりにあったのかということです。また、天地創造の前に生み出されたのかと。神にとって特別な存在なのかと。

15:8 あなたは神との親しい交わりにあずかり、知恵をひとり占めにしているのか。

 神との親しい交わりに与って、知恵を独り占めにしているのかと。自分だけが神から御心を教えられ、それを受け入れて保っているのかと。

・「知恵」→神の御心を受け入れ、従う分別。

15:9 あなたが知っていることを、私たちが知らないというのか。あなたが悟っていることは、私たちのうちにはないのか。

 ヨブが知っていることを友たちが知らいないというのかと。エリファズは、ヨブと同じほどに知っていると言いたいのです。悟りのこともそうです。御心を理解し、行っていないだろうかと。しかし、残念ながら、ヨブと友たちの間には、神の御心の理解に関して、大きな隔たりかあります。友たちの水準は、低いものでした。物事の見方が画一的で単純でした。御心の受け入れと理解、実践において、到底ヨブには及ばないのです。彼らの悟りは、遥かに水準の低いものであったのです。

15:10 私たちの中には、白髪の者も古老もいて、あなたの父よりもはるかに年を重ねている。

 「私たち」とは、友たちのことと考えられます。彼らは、ヨブの父よりもはるかに年を重ねていました。それだけ知恵があり、悟りがあることを言おうとしています

 

15:11 神の慰めは、あなたには不十分なのか。あなたに対して優しく語られたことばは。

 神の慰めとして示したことは、罪を捨てて神に求めるならば、神が回復してくださるというような勧めです。そして、友たちの語りかけの言葉は、優しかったのです。ヨブの罪を指摘しましたが、ヨブのためを思って語っていたのです。

15:12 なぜ、あなたは自分を見失っているのか。なぜ、あなたの目は、ぎらついているのか。

 友たちは、ヨブの心が彼を取り去っていると思いました。正常な判断ができないでいると思ったのです。

 そして、彼は、神を嘲っているような目をしていると見ました。目も信仰の比喩で神の言葉を受け入れることを表しています。しかし、その信仰が働かず、神を嘲っているかのようです。

・「自分を見失う」→あなたの心があなたを取り去る。

・「ぎらつく」→嘲笑的に目が輝く。

15:13 あなたが神に向かって苛立ち、口からあのようなことばを吐くとは。

 それは、彼が神に向かって苛立ち、罪がない者の罪を探り出して、追い立てているかのように言ったからです。

15:14 どういう人が清くあり得るのか。女から生まれた者で、だれが正しくあり得るのか。

 そのことを受けて、人は、清くないことをヨブに諭しています。だれも清くはあり得ないし、女から生まれた者で、正しくあることはできないのだと。

15:15 見よ、神はその聖なる者たちさえ信頼なさらない。天も神の目には清くない。

 神は、聖なる者たちすなわち御使いたちさえ信頼なさらないと。女から生まれた者については、正しくあり得ないと既に言っていますので、聖なる者たちは、人以外の存在です。そして、天も神の目には清くないと。

 しかし、彼は、神の立場に立ってこのことを語っていますが、そのことは、明確に啓示されているか、御言葉として記されていなければ知りえないことです。神の目の清さということから推測される事柄ですが、根拠が示されていません。

15:16 まして忌み嫌うべき腐り果てた者、不正を水のように飲む人間は、なおさらだ。

 それと対比して、人は、忌み嫌うべき腐り果てた者であり、不正を水のように飲むと。それで。なおさら、清くあり得ないのだと。

 そして、人は、腐り果てていて、容易に不正に手を染める存在であると決めつけています。しかし、彼は、ヨブのような高度な歩みをする者について知りませんでした。自分自身の経験の範囲から判断しているのです。ですからそれは、それを語る彼自身の状態を表しています。

15:17 私はあなたに告げる。私に聞け。私が見たことを述べよう。

 彼は、自分が見たことを告げると言い、これ以降、人が悪を行い、その結果を刈り取ることを示します。

15:18 それは知恵のある者たちが告げたこと、その先祖には隠されなかったことだ。

 彼は、知恵ある者たちとして告げるのだと言いました。自分と、先祖たちが見たことであると。先祖を引き合いに出すことで、自分の主張がより確かであることを示そうとしています。

15:19 彼らだけに、この地は与えられ、他国人が彼らの間を通り過ぎることはなかった。

 知恵ある彼らだけにこの地は与えられました。他国人のように神を知らない者たちが、彼らの国に入ることはなかったのです。

 知恵のある者は、神の御心を受け入れ従っている者です。そのような者が地を受け継ぐのだと。

15:20 悪しき者は一生もだえ苦しむ。横暴な者には、ある年数が知らされずにいる。

 悪しき者の日々は、激しい痛みで苦しみます。横暴な者すなわち抑圧者は、その年の数が知らされずにいます。彼は、その悪に応じて取り除かれるからです。

15:21 その耳には恐ろしい音が聞こえ、平和なときにも、荒らす者が彼を襲う。

 彼は、恐ろしい音を聞きます。彼を襲う音です。彼が完全さの中にある時にも、襲われます。富、力、防備など揃っていても、襲われるのです。

・「平和」→完全さ。損なわれることのない完全さ。前置詞「~の内で」がつく。平和ではない。平和は、戦いのない状態をいう。襲われた時点で、平和でない状態になる。それは、襲われる人が襲われるはずがないことを表してはいない。

15:22 彼は自分が闇から帰って来られるとは信じない。彼はいつも剣につけ狙われている。

 彼は、神の裁きを受け、繁栄を失うのです。そこから帰って来られるとは信じられないのです。彼は、いつも剣に付け狙われています。

・「闇」→繁栄のない状態。二十三、三十節参照。神の裁きを受け、繁栄を失った状態。

15:23 食物を求めて、「どこにあるか」とさまよい歩き、闇の日が間近に用意されているのを知っている。

 食物を手に入れることができず、神の裁きのどん底が用意されているのを知っています。

15:24 苦難と苦悩は彼をおびえさせ、戦いの備えができた王のように彼を圧倒する。

 彼は、苦難と苦悩に圧倒されます。

15:25 それは、彼が神に対して手向かい、全能者に対して尊大にふるまい、

15:26 分厚い盾を取って、傲慢にも神に向かって突き進むからだ。

 そのようなことになるのは、彼が神に対して手向かうからです。全能者に対して、全く無力であるのに尊大にふるまうのです。そして、自分を守ってくれるであろうと考える盾を構えて、神に向かって突き進むからです。それは、傲慢です。

15:27 彼が顔を脂でおおい、腰の周りを脂肪で膨れさせたとしても、

15:28 彼は、消し去られた町、人の住んでいない家に、瓦礫の山となるところに住む。

 彼が、豊かであり脂肪に肥えたとしても、彼は、廃墟となったようなところに住むことになります。

15:29 彼は富むこともなく、自分の財産も長く持たず、それがもたらす収益は地に広がらない。

 彼は、富むことがありません。財産は、長く持たず、財産がもたらす利益は地に広がりません。

15:30 彼は闇から離れられず、炎がその若枝を枯らし、神の御口の息によって追い払われる。

 彼は、その落ちぶれた状態から離れられません。それは、神の炎がこれからの成長と繁栄を表す若枝を枯らすからです。神の御口の息は、神の霊を表し、御業の実行者としての聖霊の比喩です。それをするのは、人ではなく、神の霊です。

15:31 迷わされて、むなしいことに信頼するな。その報いはむなしいからだ。

 彼は、迷わされるのです。それで、むなしいことに信頼するようになるのです。それをするなという呼びかけは、そのようになることの警告です。その報いは、むなしいのです。

15:32 彼の時が来ないうちに報いはなされ、その葉が緑になることはない。

 ここでも、木の成長にたとえられています。実を結ぶ時の前に、彼は、実を結ばないような状態にされるのです。報いを失います。その葉が緑になることがないのです。その木は、育たず、実を結ぶことなく、報いはないのです。

15:33 ぶどうの木のように、その未熟な実は落とされ、オリーブのように、その花は振り落とされる。

 さらに、実が結んだとしても、未熟なうちに落とされます。その花は、振り落とされ、実にならないのです。

15:34 (それで)神を敬わない者の仲間には実りがなく、賄賂の天幕は火で焼き尽くされるからだ。

 それで、神を敬わない者たちは、実りがないのです。賄賂で自分の道を開こうとしても、却ってその天幕は焼き尽くされます。神の裁きです。

15:35 彼らは害悪をはらみ、不法を産み、その腹は欺きを準備している。

 彼らは、害悪をはらみます。心の内に害悪を図るのです。不法が生み出されます。実行されるのです。はらむことは、欺きを準備していることです。

 このように、人は悪を行い、その結果を刈り取るのです。