マルコ13章
13:1 イエスが宮から出て行かれるとき、弟子の一人がイエスに言った。「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
弟子の一人は、宮を見て、イエス様にその宮の石、建物の素晴らしさを御覧くださいと言いました。イエス様と、感動を共にしたいという思いがあったのです。
・「先生」→神の御心に精通した教師。真理を教える者。
・「なんとすばらしい」→驚きを込めた問いかけや感嘆の意味を持つ:「どんな種類の?」「どんな様相の?」「どれほど偉大な?」この用法は、観察者が立ち止まり、深く考え、応答せざるを得ないほど非凡な事象を強調する。
13:2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」
イエス様は、人の目にいかに偉大なものと写ったとしても、それは崩れ去ることを示されました。目に見えるものが空しいことを弟子たちに教えるためです。
13:3 イエスがオリーブ山で宮に向かって座っておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに尋ねた。
13:4 「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。また、それらがすべて終わりに近づくときのしるしは、どのようなものですか。」
四人の弟子たちが、イエス様に尋ねました。先の話がいつ起こるのか、ということと、また、それら、すなわち、宮の破壊が終わりに近づくときのしるしは、どのようなものか、ということです。
13:5 それで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそ、その者だ』と言って、多くの人を惑わします。
イエス様は、弟子たちの質問を受けて話し始められました。はじめに話されたことは、人に惑わされないように気を付けることです。未来の出来事については、それが起こって初めて確証されます。それが起こるまでは、人を簡単に惑わすことができるのです。
イエス様の名を名乗る者が必ずたくさん来ます。「わたしはある」と言います。多くの者が正しい道から逸れ、さまよいます。
・「惑わす」→道を誤る。軌道から外れる。正しい道から逸脱し、さまようこと。
・『私こそ、その者だ』→わたしはある。永遠の存在者であることの宣言。
13:7 また、戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
13:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震があり、飢饉も起こるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです。
戦争や戦争の噂を聞いても、動揺してはいけません、と命じられました。それは、必ず起こることです。しかし、終わりではありません。
なぜならば、民族は、民族に、国は国に敵対して、必ず立ち上がり、あちこちで地震が必ず起こり、飢饉が必ず起こるからです。それらは、終わりだから起こるのではなく、必ず起こることであるので、動揺してはならないと命じられたののです。これらの様々な出来事は、産みの苦しみの始まりです。出産の時ではないという意味です。それは、「まだ終わりではありません」と言われたことと同じ意味で語られています。
なお、「これらの出来事」と複数形で記されています。すなわち、出来事の全てを捉えて、産みの苦しみの始まりと言っています。ある出来事が陣痛の始まりで、それに続く出来事が次の陣痛というような意味で語られているのではないことは明らかです。それに、これらの出来事と言われることは、イエス様が語られるはるか昔から数えきれないほど起こっていることであり、出来事の一つひとつを陣痛に適用することはできません。文脈としては、これらの出来事があっても、終わりではないので動揺してはならないということです。戦争などの出来事が起こるたびに終わりが近づいたと動揺することはやめなさいと命じられたのです。ですから、終わりが近づいたと言うこと自体、その命令に背いています。
・「うろたえる」→(比喩的に)動揺した(不安に駆られた)、「恐怖で叫び声を上げたい(受動態)、悲鳴を上げたい」状態(「感情的な騒乱」に陥った、すなわち非常に動揺した(驚愕した、驚いた)。なお、狼狽えるは、取り乱す動作が伴い、整合しない。
13:9 (さらに)あなたがたは用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂で打ちたたかれ、わたしのために、総督たちや王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。
五節で、「気をつけなさい」と命じ、ここでは、同じ語が「用心していなさい」と訳されています。追加で、同じ語で命じられていますので、「さらに」を意味する接続詞があります。
人々は、弟子たちを法院に必ず引き渡します。あなた方は、会堂で必ず鞭で打ちたたかれます。また、イエス様の名のために、彼らに対する証しのために、必ず、総督たちや王たちの前に立ちます。
13:10 まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません。
そして、出来事の順について示されました。「まず」はじめに福音が、全ての民族に必ず宣べ伝えられなければなりません。民族と言われ、どんな人に対しても必ず伝えられなければならないことを示されました。
13:11 人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。(なぜならば)話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
人々があなた方を連れて行き、引き渡す時、何を話すかを前もって心配するのはやめなさい、と命じられました。そうではなく、その時、あなたに与えられるどんなことも、それを話しなさいと命じられました。なぜならば、それらのことを話すのは、あなた方ではありません。そうではなく、聖霊です。
聖霊が全てのことをされると信じる人を通して聖霊は働かれます。肉にはよらず、御霊によって歩んでいる人を用いることができます。聖霊の働きを消すような歩みをしている人を聖霊は用いることはできません。また、聖書を学んでいない人を用いることができません。正しい知識を持っていないからです。知識もないのに語ることはできないのです。
逆に、聖霊によって歩んでいる人には、さらに御心を示し、必要な知識を与えます。その人は、それを受け入れて自分のものにすることができる分別を持っています。聖霊は、御心のままにそのような人を用いて、語らせることができるのです。
・「ただ」→アラ。強い逆説の接続詞。しかし、その代わりに。そうではなく。それにもかかわらず。それどころか。そうでなければ。一方では。
13:12 また、兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。
兄弟が、兄弟を、父が子を必ず死に引き渡します。子供たちは、必ず、両親に逆らって立ち、必ず、死に至らせます。
13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
また、イエス様の名のために、必ず全ての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍んだ人は、救われます。
非常に大きな困難を経験しますが、最後まで耐え忍ぶことで、救われるのです。これは、すでにイエス様を主と信じ告白して従っている人のことです。その人は、御国で、必ず大きな栄光を受け、報いを受けるのです。途中で躓き、挫折する人は、御言葉に従わないのですから、報いを受けることができません。
・「耐え忍ぶ人」→アオリスト、分詞。耐え忍んだ人。
13:14 (さて、あるいは、しかし)『荒らす忌まわしいもの』が、立ってはならない所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。
13:15 屋上にいる人は、家から何かを持ち出そうと、下に降りたり、中に入ったりしてはいけません。
13:16 畑にいる人は、上着を取りに戻ってはいけません。
ここで、話が移行します。今までの話は、接続詞「カイ:また」で繋がれて列挙されていました。終わりではない時代の話です。ここからは、接続詞「デ」が記されていて話が変わります。
荒らす忌まわしい者は、神の目に忌まわしい者であり、聖なる所に立つことができない者ですが、その者がその聖なる立ってはならない所すなわち神殿に立つのを見たら、ユダヤにいる人たちは、山に逃げるように命じられました。ユダヤにいれば、激しい困難に遭うからです。それは、緊急のこととして行動しなければならないことを示されました。屋上にいる人は、何かを持ち出そうとして決して家に入ってはならないのです。すぐに逃げるのです。畑にいる人は、作業中は上着はいらないかもしれませんが、山に逃げるとなると上着が必要です。決して上着を取りに戻ってはならないと命じました。
「読者は、よく理解するように」と記されています。すでに預言されていることです。その預言の言葉と照らして、それが何を指しているか理解しなさいと命じられています。
13:17 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。
13:18 このことが冬に起こらないように祈りなさい。
哀れなるかな。それらの日、身重の女と、乳飲み子を持つ女たちは。彼らは、急いで逃げることができないからです。
そのことが冬に起これば、逃げた先で寒さを凌ぐのは大変です。急いで逃げるのですから、ほとんど何も持たないで逃げることになるからです。
13:19 それらの日には、神が創造された被造世界のはじめから今に至るまでなかったような、また、今後も決してないような苦難が起こるからです。
その理由が示されています。それは、非常に大きな苦難が起こるからです。
13:20 もし主が、その日数を少なくしてくださらなかったら、一人も救われないでしょう。しかし、主は、ご自分が選んだ人たちのために、その日数を少なくしてくださいました。
その苦難は、あまりにも大きいので、主は、その日数を少なくされました。そうでないと、一人も救われないからです。
13:21 そのときに、だれかが、『ご覧なさい。ここにキリストがいる』とか、『あそこにいる』とか言っても、信じてはいけません。
13:22 (なぜならば)偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います。
そして、誰かが、ここにキリストがいる、と言っても、信じてはいけないと命じられました。なぜならば、偽キリストや偽預言者たちが現れるからです。そして、できれば、選ばれた人たちを騙そうとしてしるしや不思議を行います。
13:23 あなたがたは、気をつけていなさい。わたしは、すべてのことを前もって話しました。
それにもかかわらず、あなた方は、警戒していなさい。イエス様は、すべてのことを前もって話しました。
・「気をつける」→見る、注意深く観察する(警戒する)。
13:24 しかしその日、これらの苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、
13:25 星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。
13:26 そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。
それらの苦難の後に、太陽は必ず暗くなります。月は、必ず光を放たなくなります。星は、必ず天から落ちます。そして、天(複数)にあるすべての力は、必ず揺り動かされます。
これらの現象は、天体の変化だけを意味していません。霊の世界の変化も表しています。太陽と月の光は、神の真理の比喩です。太陽は、主イエス様の比喩であり、月は、教会の比喩です。主イエス様は、その光を全世界に届けられる方です。また、その役割は、教会に委ねられ、教会を通して真理が証しされます。それらのことが失われることを表しています。もはや、真理を証しする働きは止むのです。星は、御使いの比喩です。しかし、神に背く御使いたちは、悪魔と共に地に落とされます。天体に関しても、霊の世界に関しても、その力は、揺り動かされるのです。
その時、人々は、人の子としてのイエス様が偉大な力と栄光と共に来られるのを見るのです。人々の目に明らかに見えるように来られます。
いわゆる新約の信者に関しては、雲に引き上げられて、そこで主にお会いしますので、それは、別の機会です。
13:27 そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。
その時、イエス様は、御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、主が選ばれた者たちを四方から集めます。天は、単数で記されています。宇宙船や航空機に乗っている人もいるので、天の果てという表現が相応しいのです。
13:28 いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかくなって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。
13:29 同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。
これらのことは、荒らす忌まわしい者が、立ってはならない所に立っているのを見た時から始まる、一連の出来事です。それより前の、十三節までは、終わりではない時代の出来事が、接続詞「また」で繋がれて、列挙されています。
13:30 まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。
13:31 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
これらのこと全てが起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。必ず起こるのです。さらに話は進み、天地が過ぎ去ることに言及されました。その時にも、イエス様の言葉が過ぎ去ることがないことを強い口調で語られました。
・「消え去り」→三十節の「過ぎ去り」と同じ語。
13:32 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。父だけが知っておられます。
ただし、弟子の質問にあったように、それがいつなのかについては、天の御使いも、イエス様も知らないのです。父以外は知りません。
・「知る」→現在完了形。過去の出来事が今も継続していることを表す。
13:33 気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。
気をつけ、目を覚ましているように命じました。その時がいつなのか、弟子たちは知らないからです。イエス様が話されたことは、この時代の終わりのことです。イエス様が迎えに来られる時のことについては、まだ明らかにされていませんが、弟子たちに目を覚ましているように命じられました。
・「気をつける」→見る、注意深く観察する(警戒する)。
・「知る」→現在完了形。過去の出来事が今も継続していることを表す。
13:34 それはちょうど、旅に出る人のようです。家を離れるとき、しもべたちそれぞれに、仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているように命じます。
それは、ちょうど家を離れて旅に出る人が、彼のしもべたちには権威を、それぞれに彼の仕事を与えるようで、そして、門番には、目を覚ましているように命じました。
これは、弟子たちに関係することです。主から権威を授けられて、主の働きをする者とされました。門番の役割もあります。それを忠実に行うことが求められています。
13:35 ですから、目を覚ましていなさい。(なぜならば)家の主人がいつ帰って来るのか、夕方なのか、夜中なのか、鶏の鳴くころなのか、明け方なのか、分からないからです。
ですから、目を覚ましていなさいと命じました。家の主人がいつ帰ってくるかわからないからです。
主は、来られて弟子たちを評価されます。目を覚まして歩み続けることが大切です。眠っていてはならないのです。
13:36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見ることがないようにしなさい。
主人が突然帰って来て、弟子たちが眠っているのを見ることがないようにと言いました。
眠っているのを見られたならば、その評価は低いものになります。御国で、報いをいただくことができません。
13:37 わたしがあなたがたに言っていることは、すべての人に言っているのです。目を覚ましていなさい。」
イエス様が弟子たちに話されたことは、すべての人に言っていることであり、すべての人に関わることです。それは、大きな患難の時代が来て、この時代は過ぎ行き、さらに、天地も過ぎ行くからです。揺るがないのは、イエス様の言葉です。目を覚ましていなさいと命じられました。その言葉を頼りに、忠実に歩むことが幸いです。