ペテロ第二2章
2:1 しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。
しかし、御民イスラエルの中には、偽預言者も出ました。同じように、偽教師が現れます。彼らは、必ず滅びをもたらす分派を密かにもたらします。滅びをもたらす教えは、次節の「真理の道」と対比されます。真理の道を歩むことから逸れることで、神様が備えた恵みから落ちるのです。彼らが永遠の滅びに入ることを意味しているのではありません。
彼らは、主を否定することさえ持ち込み、自分自身の身に速やかな滅びをもたらします。偽教師にも、同じ「滅び」の語が適用されています。彼らは、神の恵みを逃すのです。彼らがどのようにされるかは、神様の主権によることです。ただし、主を否定することをするならば、彼らには、信仰がないことが明らかになります。その場合には、永遠の滅びに入ります。
・「異端」→派。
・「滅び」→アポリーア。"滅び "は "消滅 "を意味するのではなく、"存在 "ではなく "幸福の喪失 "を意味する。
2:2 また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。
多くの者が必ず彼らの放縦に倣います。その放縦は、教会の中に持ち込まれ、彼らは偽教師の生き方を真似するのです。教会外の人から見て、必ず悪く言われることになります。真理の道の証しが信者の生き方で台無しにされるのです。
2:3 彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません。
貪欲と捏造した話で、彼らはあなた方を必ず食い物にします。彼らは、自分の利得のためにそれをするのです。自分に同調し、従う者が多くなることで、自分を高くすることができます。
彼らに対する裁きは、昔から怠りなく行われています。彼らの滅びが遅くなることはありません。彼らは、永遠の滅びに入るという意味で「滅びる」と記されているのではなく、主の前に祝福を失い、報いを失うことを意味しています。ただし、主を否定することをするならば、彼らには、信仰がないことが明らかになります。その場合には、永遠の滅びに入ります。
・「うまくこしらえた」→型にはめて成形した。比喩的に、捏造した。でっちあげた。
・「滅び」→ アポリーア。"滅び "は "消滅 "を意味するのではなく、"存在 "ではなく "祝福の喪失 "を意味する。
2:4 神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。
いくつかの実例を挙げました。これは、罪を犯した御使いに対する裁きです。彼らは、裁きの日まで閉じ込められました。
2:5 また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。
ノアの時代、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、ノアたちを保護されました。ノアについては、義を宣べ伝えたと記されていて、不敬虔と対比されています。ノアは、正しく生きたし、また、義を宣べ伝えたのです。しかし、誰もその言葉を信じて、行動する人はいなかったのです。
2:6 また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。
ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にしました。それは、不敬虔な者たちがどのように扱われるかという実例です。
2:7 そして、不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。
ロトは、神の目には正しい者として救い出されました。彼は、ソドムの町に住みましたが、不道徳な者たちの放銃な振る舞いによって悩まされていました。
ロトが正しい人と判断されるのは、次の聖句によります。
創世記
19:18 ロトは彼らに言った。「主よ、どうか、そんなことになりませんように。
19:19 ご覧ください。このしもべはあなたのご好意を受けました。そしてあなたは私に大きな恵みを施してくださり、私のいのちを生かしてくださいました。しかし、私は山にまで逃げることはできません。おそらく、わざわいが追いついて、私は死ぬでしょう。
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ロトは、主から「恵み」を受けたことを言い表しています。この「恵み」と訳されている語は、旧約聖書では、契約に対する忠誠という意味です。ロトは、神と契約関係にあることを言い表しています。彼は、神を信じていた者であり、義とされていた人なのです。
・「正しい」→正しくは「神によって承認された」。正しい、「神の目から見て正しい」。義人。
2:8 この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。
彼は、裁き司のように振る舞っていました。彼は、正しい心を痛めていたのです。
創世記
19:9 しかし、彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そして言った。「こいつはよそ者のくせに、さばきをするのか。さあ、おまえを、あいつらよりもひどい目にあわせてやろう。」彼らはロトのからだに激しく迫り、戸を破ろうと近づいた。
→「こいつはよそ者として来た。さばきをしていた。」と、ロトに対する不満をあらわにし、ロトに迫りました。ロトは、七節の言葉のように、「悪いことはしないでください。」と言っているように、彼らの悪を止めようとしたのです。そのように、彼は、悪を裁くことをしていました。
・「よそ者として(来た)」→(宿やその他の目的のために)道をそれること、すなわち(客として)滞在すること。また、(見知らぬ土地で)縮こまること。不定詞構文。動詞「来る」補語動詞となっている。来た目的として記されている。一時的な滞在のために来たことを言っている。
・「裁きをするのか」→ヘブル語で、「裁く」という動詞が二つ連続で使用されていて、最初の動詞は、連続不完了体で、完了形として機能する。次の動詞は、 絶対不定詞で、動詞の動作の強さや確実性を表現する。裁きをしていたことを強調しています。この訳のように、今、裁きをすることを言っているのではなく、過去に裁きをしたことを言っています。
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2:9 主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。
→「主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出すこと、それから、正しくない者を裁きの日まで処罰されることを保つことを(処罰のもとに置くこと)を知っています。」
正しくない者たちや、不敬虔な者たちについては、信者であって、そのような状態にある人のことです。未信者のことを取り上げているわけではありせん。そのような人たちは、敬虔な者たちに対してなした正しくない行いのゆえに処罰されます。彼らは、裁きの日にキリストによって裁かれるのですが、それまでの間、彼らは、処罰を受けたままになります。
この処罰がどのようなことかについては、十二節に、「動物が滅ぼされるように滅ぼされる」と記されています。これは、動物と同じように体が殺されることを言っているのではなく、理性がないので殺される動物の死と、霊的な堕落をかけています。この滅びは、十九節には、「滅びの奴隷」とあります。これは、霊的な堕落に落ちることです。欲望に従って生きることです。このように、取り上げられている事柄は、処罰されることは、彼らの不敬虔な生き方のままにされて、堕落した状態に留めることであることがわかります。回復の道が与えられないのです。これが処罰です。
2:10 特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。
正しくない者たちは、特に、汚れた欲望のままに肉に従って歩む人たちであり、権威を侮る人たちです。権威は、上から与えられます。この場合、神から与えられた権威を侮るのです。そのような人たちに対して、主は、処罰のもとに置くのです。
この人たちは、恐れるべきことを無視します。自己の満足に固執する人です。また、神が権威を与え、重い価値を与えた人たちを罵って恐れません。使徒のような権威を与えられた者を罵り、恐れないのです。
・「厚かましく」→文字どおり、大胆な人たち。彼らは愚かにも、恐れるべきことを無視する。
・「わがまま」→自己を満足させる人、すなわち自己の快楽に固執する(自己利益に没頭する)人。
・「栄光ある人たち」→神が栄光を与えた人たち。すなわち、神が、重い価値を与えた人たち。ここでは、神が権威を与えた人たち。例えば、使徒。
2:11 御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。
御使いたちは、逆に勢いにも力にも彼らに優っているのに、主の御前で彼らをそしって訴えることをしません。
2:12 この者たちは、本能に支配されていて、捕らえられ殺されるために生まれてきた、理性のない動物のようです。自分が知りもしないことを悪く言い、動物が滅びるように滅ぼされることになります。
この人たちは、捉えられ「滅ぼされ」るために自然に生まれついた、理性のない動物のようです。(尊敬、崇拝に値する)善を認めないことで知性を欠いています。すなわち、理性がないのです。また、必ず、彼らの滅びへと滅ぼされます。すなわち、彼らが霊的に堕落した状態に置かれるのです。それが彼らが滅びることです。
なお、敬虔な者が「この者たち」と言うべきでしょうか。彼らを誹るべきでありません。
・「本能に支配された」→自然、すなわち、神の刷新(救い)を欠いた、再生していない人の振る舞いを表す。
・「理性のない」→ álogos理性に反する、「理不尽な」。文字どおり、「理性のない、論理のない」。神の視点から見た非合理的な行動(思考)、すなわち神の理性に完全に反するものを指す。健全な道徳的(霊的)道理に欠ける行動を表す。
・「滅び」→名詞。内部の腐敗(劣化、腐敗)による破壊。「腐敗、腐敗性、腐敗」。「彼らの滅びへと:与格」
・「滅びる」→動詞。未来形、直接法。受動態。罪の腐敗の影響により、道徳的な劣化を引き起こすこと、または経験すること。未来形から、必ず滅ぼされる。
・「悪く言い」→(尊敬、崇拝に値する)善を認めないこと、したがって、道徳的価値を逆転させる。冒涜すること。
2:13 彼らは不義の報酬として損害を受けるのです。彼らは昼間から飲み騒ぐことを楽しみとしています。彼らはしみや傷であり、あなたがたと一緒に宴席に連なるとき、自分たちのだましごとにふけるのです。
彼らは、不義の報酬として、報い返されているのです。彼らは、昼間から飲み騒ぐことを大事なことと考えています。彼らは、しみや傷です。信者が共に集うとき、彼らは、主を覚えるために集ってはいません。肉欲を満足させることを求めて集っているのです。表面的には、信者として集いますが、その実態がないのです。ですから、騙しごとなのです。
・「損害を受ける」→現在、分詞、中態あるいは受動態。間違ったことをする(不正を行う)こと、特に神の正義を無視して報われない傷を与えること、すなわち、神が承認していることに反して行動すること。不義に対して報い返されること。
・「楽しみとしている」→優先的に最初に来ることを指す。
・「宴席に連なる」→一緒に楽しむ(中動態または受動態)。信者が教会に一緒に集うこと。特に、パン裂きの集まり。
2:14 その目は姦淫に満ち、罪に飽くことがなく、心が定まらない人たちを誘惑し、心は貪欲で鍛えられています。彼らはのろいの子です。
その目は、姦淫に満ちています。教会に集った時、心の中で常に姦淫の思いを抱いて他の人を見ています。罪に飽くことがありません。
たましいの確立していない人を誘惑します。たましいは、御言葉に従う座です。御言葉に従って生きることが確立していない人を誘惑するのです。また、そのような人は、誘惑されやすいのです。神の言葉に従うことを心に定めていないからです。
心は、貪欲で鍛えられたのです。その状態が今も続いています。貪欲を追求して生きる心になってしまっているのです。彼らは、呪いの子です。彼らは、信者でありながら、呪いの子です。彼らは、永遠の滅びに入ることはないかもしれませんが、神から永遠の資産としての報いを受け継ぐことはありません。
2:15 彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、
2:16 自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。
彼らは、正しい道を捨てて、さまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子パラムの道に従ったのです。しかし、口の聞けないろばが人の声で話して、彼の不正行為を咎めました。この預言者の狂気の沙汰を差し止めたのです。
・「やめさせた」→強く禁じる。差し止める。
2:17 この者たちは水がない泉、突風で吹き払われる霧です。彼らには深い闇が用意されています。
彼らは、水がない泉です。泉は、聖霊の比喩です。しかし、水がないように、聖霊が水によって表される御言葉によって働くことがないのです。それで、彼らは、欲望のままに生きるのです。突風で吹き払われる霧のようです。風は、霊の比喩です。霊は、悪霊のことを指しています。彼らは、その思いのままに動かされるのです。
彼らのためには、深い闇が用意されています。この闇は、永遠の滅びのことではありません。これは、彼らの受ける報いに関係しています。
黙示録
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
22:14 自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。
22:15 犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。
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今、不正を行なっている者は、新天新地に入りながら、都に入れない報いを受ける者たちがいます。この門は、新天新地の新しいエルサレムの門です。
2:18 彼らは、むなしいことを大げさに語り、迷いの中に生きている人々の間から現に逃げ出しつつある人たちを、肉欲と好色によって誘惑しています。
彼らは、むなしい、意味のないことを自慢して語り、迷いの中に生きている人たちからなんとか逃れつつある人たちを肉欲と好色によって誘惑しいます。
・大げさに語り→常に誇張し、膨らんだ自我から言葉を吐き出す自慢屋に使われる。
・「むなしいこと」→目的や意味のある終わりを欠くことによる無目的。
・「迷い」→逸脱した行動。神が真実であると言われるものからの逸脱。彷徨う(罪の中を歩き回る)結果となる誤り(欺瞞)。
2:19 その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。(なぜならば)人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。
その人たちは、肉欲に従うことが自由と考えているのです。ですから、その誘惑は、自由を約束することであるのです。自分の欲望のままに生きるように誘惑します。しかし、自分自身は、滅びの奴隷です。彼は、その行いの結果、神の前に永遠の資産としての報いを受けることはありません。実を結ばないからです。
彼は、滅びの奴隷です。なぜならば、人は、打ち負かされていることで、その奴隷にされているからです。彼は、欲望に支配されているのです。彼は、肉を殺すことなく、肉に支配されて生きたのです。彼は、敗北したのです。御霊によって歩み、肉を殺すことが勝利です。
2:20 (なぜならば)主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。
彼らは滅びの奴隷とされているのです。なぜならば、主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれれて、征服されているならば、そのよなう人たちの終わりは、初めの状態よりももっと悪くなっています。
・「悪くなります」→動詞、完了形、直接、能動態。完了したことが現在も続いている状態。悪くなっている。
2:21 義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。
それで、義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかった方が良かったのです。
2:22 「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。
彼らに起こっていることは、「犬は、自分が吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という例えの通りです。
犬は、吐いた物に戻ります。吐いたのは、それが体に害があるからです。吐くことで、健康が保たれます。しかし、害をもたらす物に再び戻る愚かさを表現しています。
豚は、身を洗っても、そのようなことを意に介さないのです。豚は、汚れたことと清いことの判別がつかないのです。善悪を判断する能力がない愚かさを表現しています。
・「起こっているのです」→動詞、完了形、直接、能動態。完了したことが現在も続いている状態。