ピレモン

1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、

1:2 姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。

1:3 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。

 ピレモンについては、「同労者」と表現し、共に神の言葉を、言葉と模範により伝える者として表現し、御心を全うする者であることを言い表しました。これから手紙で伝える内容についても、神の御心として実践することを期待しています。

 姉妹アッピアについては、説明がありませんが、オネシモの受け入れについてピレモンと同じ立場にある姉妹です。オネシモは、ピレモンの奴隷で、しかも、彼に損失を与えた人です。奴隷に関する所有権を持つ人です。

 アルキポは、戦友と呼ばれ、共に霊の戦いを戦う人です。そして、ピレモンの家に教会が集っていました。

 

1:4 私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。

1:5 あなたが主イエスに対して抱いていて、すべての聖徒たちにも向けている、愛と信頼について聞いているからです。

 →「主イエスに向けられ、また、聖徒たちのうちにあるあなたの信仰と愛について聞いている」

 この信仰と愛について、パウロはそれを聞いていると言っています。ですから、具体的に現れた行いを指しています。ピレモンの内面について言っているではありません。主イエスに対する愛と信仰の現れが、聖徒のなかで現れているのです。

 その実践を聞くならば、いつも神に感謝することができます。

・すべての聖徒たち「にも向けている」→すべての聖徒たち「の内での」。キリストに「対する:前置詞」と、聖徒たち「にも向けられている:前置詞。→内の」は、違う。「も」で繋ぐことはできない。異なる意味を表現している。すなわち、キリストに対する愛および信仰と、聖徒たちのうちでの(ピレモンの)愛および信仰です。キリストへの愛の実践として、聖徒に対する愛の実践であり、キリストに対する信仰に基づく聖徒の中での信仰の実践です。神の言葉を信じ、それを忠実に実践することが、聖徒の中で現れていました。

・信頼→信仰。前置詞の意味を区別していないので、聖徒に対する「信仰」と訳すことになる。それがが不適切なので、信頼と訳している。

1:6 私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。

 パウロたちのことをすべて知ることで、彼が神の御心を行い、神と一つになることにおいて、効果があるものになりますようにと願いました。キリストのためになされている良い行いは、直接的には記されていませんが、ピレモンにとってはオネシモに関わることです。オネシモは、主人の元を逃げ出した悪い奴隷です。しかし、イエス・キリストを信じ、神に従順な者となりました。そして、オネシモを主人であるピレモンが受け入れることは、神様の御心を行い神と一つになることにおいて、それが見せかけでなく、効果あるものであることを現すことができるのです。ピレモンがそれを行うことは、より高度な信仰の歩みの実践となるのです。ピレモンが、オネシモの受け入れを神の御心の実践として喜んで行うことができるようにしました。

・信仰の「交わり」→信仰による兄弟姉妹の交わりではない。信仰は、神が示す御心を受け入れること。その神が示す御心を基礎として共有し、それを与える神と一つとなること。

・「生き生きとしたもの」→効果があるもの。

1:7(なぜならば) 私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。

 その勧めをする理由が示されていて、ピレモンは、すでに神の御心を行う人であって、その愛を現してきました。パウロは、その愛を知って、多くの喜びと激励を受けたのです。それで、ますますそうあることを願いました。その喜びと励ましを得た理由は、聖徒たちが、ピレモンに対して期待し願っていたことがピレモンに実現しているのを知って、休みを得たからです。聖徒たちは、聖められることを求める人たちのことです。ピレモンのために祈ったでしょう。神は、それを実現してくださいました。目的の達成を見て休みを得たのです。

・「慰め」→神の法廷で良い評決を受ける根拠をあたえる、個人的な勧めのこと。激励。

・「安心」→休み。必要な任務が完成した後に休みを与えること。

1:8 ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、

1:9 むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、

1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。

 それで、パウロは、オネシモの取り扱いについて、愛によって懇願しました。彼の愛がさらに豊かに現されることに期待をしたのです。それが神の御心に適ったことであり、神が求めておられることであるからです。その機会としたかったのです。ですから、命令として行わせることをしませんでした。命令であるならば、愛が働かなくても実行するでしょう。彼は、そうではなく、ピレモンが愛によって実行することを願ったのです。その願いは、命令としてではなく、愛によって実行されることを願ってのものなので、「愛によって」という言い方をしています。

・「愛のゆえに」→愛によって。

1:11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。

 奴隷としてのオネシモは、主人のところを逃げたしたのであり、ピレモンにとって役に立たない者でした。しかし、今は、オネシモは、主人としてのピレモンのところに帰るならば、忠実な奴隷として働く人になったのです。神の教えを飾るしもべです。

 そして、パウロにとっても役に立つ者となりました。獄中では、パウロに仕えていました。

1:12 そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。

 オネシモを主人であるピレモンの元に送り返すことにしました。そのオネシモについては、パウロと同じ心でした。パウロの心そのものであると言いました。今、オネシモは、神の御心を行う者に変えられたのです。

1:13 私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。

1:14 しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。

 オネシモの取り扱いについては、ピレモンの同意を得ることを優先させました。それは、パウロが決めた通りのことを一方的に押し付けることにならないためです。ピレモンが自発的に事をなすためです。パウロに仕えることを願いましたが、ピレモンが自発的な親切として行うことになるようにしました。そのようにして、神の御心に適ったことを行うにしても、自発的に行うことを神は望まれ、そうすることでその人の信仰による業が実現し、神の栄光が現されるためです。

1:15 オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。

1:16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。

 オネシモが逃げ出したことについては、ピレモンにとって良いことであったと説得しています。結果としてオネシモを永久に取り戻すことになりました。以前の奴隷ではなく、兄弟として彼は取り戻したのです。これは、はるかに優れたことです。以前は役に立たない奴隷でしたが、今は、愛すべき兄弟として取り戻したのです。パウロは、オネシモを愛していることを表明しています。そして、ピレモンにとっても、愛する兄弟であることを言っています。しかも、ピレモンにとっては、奴隷であった者であり、自分のものであり、いわば身内なのです。なおさら、愛すべき兄弟なのです。

1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。

 神とキリストにあって御心を行うことにおいて一つである「仲間」なのです。そのような者とみなしているのであれば、オネシモもそのような者なのであって、パウロを受け入れるように受け入れることを求めました。

・「仲間」→同じものを共有する仲間。霊的には全てを共有している。

1:18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。

 そして、経済的な損害を与え、彼が負債を負っているのであれば、それについてはパウロが請求を受けると言いました。ピレモンが喜んでオネシモを受け入れるために配慮しました。人は、そのようなことで躓くのです。

1:19 私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。

 このことがパウロの本当の意思であることを示すために、自分の手で手紙に記しました。ですから受け入れてほしいと。霊的には、ピレモンは、もっと大きな負債を負っています。パウロの尽力によって信仰に導かれ、霊的成長を遂げたのです。そのことは、何も言わないと言いました。彼がそのことを考えて遠慮して、請求できないと考えないためです。請求できないことで、オネシモを許せない思いが起こらないためです。

 なお、「言わないことにします」と記していることについて、そのように記すことで、ピレモンが請求しないようにしているという考えは当たりません。パウロは、むしろ。請求しても構わないので、ピレモンを受け入れることを願っているです。

1:20 そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。

 パウロが望んだのは、キリストにあって益となること、あるいは良いものを得たいと言っています。それは、パウロがピレモンに対して勧めたことが実行に移されるならば、キリストの栄光となるのです。その任務が果たされた時休みが与えられるのですが、それを期待したのです。

 なお、これは、結果的に「厚意に与る」ことになりますが、ここでは、その行為がキリストにあって価値あるものであることを言っています。単に厚意を求めているのではありません。

・「厚意に与る」→利益を得る。喜びを得る。良いものを得る。希求法、中態。

・「安心」→休み。必要な任務が完成した後に休みを与えること。

1:21 私はあなたの従順を確信して書いています。私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、分かっています。

 パウロは、ピレモンの従順を高く評価しています。パウロが言う以上のことをしてくださるとわかっていると言い、ピレモンをみくびっていないことも示しました。ピレモンが喜んで、自ら進んで良いことをしようとする人であることを分かっていると。ピレモンが進んで良いことをすることができるように配慮しました。

1:22 同時に、私の宿も用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私はあなたがたのもとに行くことが許されると期待しているからです。

 パウロは、彼らのところへ行くことができると期待していました。彼らが祈っていてくださるからです。それで、宿の用意をしてくださることを願いました。パウロは、彼らが信仰の良い実を結ぶことを期待し、それを見て喜ぶことを願っていました。

 なお、これは、パウロが行くことにしていると言うことで、ピレモンが期待通りのことを実行するように促しているというのは当たりません。彼は、そのようなことは決して望んでいないことは、再三記されています。真に、キリストの栄光を求める人がそのような思いで書くはずもないのです。

1:23 キリスト・イエスにあって私とともに囚人となっているエパフラスが、あなたによろしくと言っています。

 エパフラスは、コロサイの信者で、パウロと共に投獄されていました。このことは、コロサイ書に記されていて、オネシモたちがコロサイの信者に手紙を届けました。

コロサイ

4:9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。

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1:24 私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。

1:25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。

 「恵み」は、主が備えた祝福です。信仰によって獲得できます。霊と共にあることを祈ったのは、彼らが信仰により神の御心を受け入れ、それに従うことでその祝福を獲得できるからです。霊は、信仰により神の言葉を受け入れる部分すなわち座です。信仰による祝福の獲得こそ価値あることであるからです。