ネヘミヤ記13章

13:1 その日、民が聞いているところでモーセの書が朗読され、その中に、アンモン人とモアブ人は決して神の集会に加わってはならない、と書かれているのが見つかった。

 城壁奉献の日に、モーセの書が朗読されました。アモン人とモアブ人は、「神の」集会に加わってはならないと記されていました。「神」という語が使われているのは、集会が神のものであることを示すためです。神の集会であるので、彼らを集会に加えることはできないのです。その理由については、次節に記されています。

 「神の集会」という表現は、集会が神のものであることを強調しています。この表現は、新約の教会についても用いられています。その場合も、教会が神のものであり、人間の肉を現してはならないことを示すために使われています。例えばコリントの教会がそのように呼ばれています。戒めの意味が含まれているのです。ですから、この語を使うに当たっては、その教会が神のものであることを戒める目的以外で使うことは気をつけなければなりません。また、自らの教会をそのように呼ぶことは、その集会が神のものであると自らの聖さを誇る意味になります。使わないほうが安全です。なお、自らを名乗る場合には、ローマ書十六章に記されているように、「キリストの教会」とすべきです。キリストの愛を受け、キリストにあっての交わりの中にある教会を意味しています。

13:2 それは、かつて彼らが、パンと水をもってイスラエル人を迎えることをせず、かえってバラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからであった。私たちの神はその呪いを祝福に変えられた。

13:3 民はこの律法を聞くとすぐに、混血の者をみなイスラエルから切り離した。

 その理由は、彼らがイスラエルをパンと水をもって迎えなかったからです。すなわち、血の繋がりのあるものとして歓迎するのではなく、バラムによって呪うとしたからです。祝福を求めず、呪おうとしました。神の求めることは、イスラエルが祝福されることです。呪いを祝福に変えられました。

 ロトは、アブラハムの身内です。兄弟を愛さず、呪うようなことは、神様の忌み嫌うところです。

 イスラエルは、書かれているとおりに、すぐに、混血のものをイスラエルから切り離しました。

13:4 これより以前、祭司エルヤシブは、私たちの神の宮の部屋を任されていて、トビヤと親しい関係にあったので、

13:5 トビヤのために一つの大きな部屋をあてがっていた。以前その部屋は、穀物のささげ物、乳香、器、またレビ人や歌い手や門衛たちのために定められていた、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、さらに祭司のための奉納物を保管するところであった。

 「これより以前」の時は、奉献式以前の時です。前節までは、「その日」と二回記されている当日です。奉献式以前の堕落した状態が記されています。それは、次節に記されているように、ネヘミヤ不在の時です。

 まず、大祭司エルヤシブの悪について記されています。彼は、「神の宮」の部屋を任されていました。その権限を用いて彼がしたことは、親しい関係にあったトビヤのために一つの大きな部屋をあてがったことです。そこは、宮で仕えるための穀物の捧げ物、乳香、器また、レビ人のために定められた十分の一の保管、祭司のための奉納物の保管のための部屋です。いわば、聖別された物を保管する場所であったのです。

13:6 この間ずっと、私はエルサレムにいなかった。私が、バビロンの王アルタクセルクセスの三十二年に王のところに行き、その後しばらくして王にいとまを乞い、

13:7 エルサレムに帰って来たからである。そのとき私は、エルヤシブがトビヤのために行った悪、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋を彼にあてがったことに気づいた。

 彼の不在期間は、十二年です。その間、民の霊的指導者として最も聖くなければならない大祭司が、敵対者と親しい関係にありました。大祭司が民を導かなければならないのです。しかし、彼にはそれができませんでした。その理由は、トビヤと親しかったからです。自らを聖めない者が民を導くことはできません。

ネヘミヤ記

1:1 ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がスサの城にいたときのことであった。

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13:8 私は大いに気分を害し、トビヤ家の家財をすべてその部屋から外へ放り出し、

13:9 命じて、その部屋をきよめさせた。そして私は、神の宮の器を、穀物のささげ物や乳香と一緒に再びそこに納めた。

 ネヘミヤは、その悪に打ち砕かれました。衝撃を受けたのです。

 ネヘミヤの取った態度は、非常に厳しいものです。有無を言わさず、強行しました。「神の宮」の器であり、捧げ物であるのです。神のためにそれを行ったのです。イエス様が宮清めをしたときのようです。

・「大いに気分を害し」→粉々に打ち砕かれた。気分を害されて腹を立てたというようなことではない。

13:10 また私は、レビ人の分が支給されていなかったために、務めに当たるレビ人と歌い手たちが、それぞれ自分の農地に逃げ去っていたことを知った。

 レビ人のために捧げられた十分の一の物がレビ人に分配されませんでした。それで、奉仕に当たるレビ人また歌うたいたちが自分の農地に逃げ去りました。生活できなかったのです。結果的に、神への奉仕が蔑ろにされたのです。神に仕えるということが重視されませんでした。

13:11 私は代表者たちを詰問し、「どうして神の宮が見捨てられているのか」と言った。そして私はレビ人たちを集め、元の職務に就かせた。

 代表者たちは、監督する者たちです。彼らが神の宮の奉仕を重要なものと考えませんでした。宮は、見捨てられたのです。ネヘミヤは、その責任者たちを厳しく責めました。

 そして、レビ人たちを集め、もとの職務に就かせたのです。また、奉献式のときには、すべてのレビ人が探し出され集められました。

13:12 ユダの人々はみな、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一を貯蔵庫に持って来た。

 ネヘミヤがレビ人を戻した時、ユダの人々がこれに呼応しました。彼らは、十分の一を持ってきたのです。

13:13 そこで私は、祭司シェレムヤ、学者ツァドク、レビ人の一人ペダヤに貯蔵庫を管理させ、マタンヤの子ザクルの子ハナンを彼らの助手とした。彼らが忠実な者と認められていたからである。彼らの任務は仲間に分配をすることであった。

 そこで、レビ人のための分配のために、レビ族の者が選ばれました。選びの理由は、忠実な者と認められていたからです。彼らは、貯蔵庫を管理し、分配することでした。それが、宮への奉仕を支え、神の宮が尊ばれることにつながるのです。

 集会における奉仕も、忠実な者と認められた人が行うのでなければならないのです。

・「忠実な者」→信じる。動詞。アブラハムが神を信じた。と使われている。神の言葉をそのまま信じて、行動することに当てられる言葉です。神の事柄に関して忠実なものでなければならないのです。当然、この世のことに対して忠実であるのです。

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13:14 私の神よ、どうか、このことのゆえに私を覚えていてください。私が神の宮とその務めのためにした数々の誠実な行いを、ぬぐい去らないでください。

 彼は、契約に対する誠実として、これをおこなったのです。ですから、彼が報いを求めているのは当然なのです。これは、契約を守っていることに対して、神が契約を忠誠をもつて果たすことを要求しているのです。

 私たちが、御国の報いを求めるならば、すなわち天に宝を積むことを求めるならば、ネヘミヤのように御言葉に対して忠誠をもって仕えることが必要です。

・「誠実な行い」→契約に対する忠誠。誠実。この語を用いたのは、彼が神の契約を覚えて、それに対して忠実であろうとしたことによります。

13:15 そのころ私は、ユダのうちで安息日にぶどう踏みをしている者、麦束を運んでいる者、また、ろばに荷物を負わせている者、さらに、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくなど、あらゆる品物を積んで、安息日にエルサレムに運び込んでいる者を見つけた。それで私は、彼らが食糧を売ったその日に、彼らを戒めた。

 安息日にぶどうを踏んだり食料を運搬している人々を見ました。さらに、エルサレムにあらゆる品物を大量に運び込んでいるのを見たのです。それは、販売を目的としており、売ったその日に事実を確認した上で、戒めたのです。

13:16 また、そこに住んでいたツロの人々も、魚などあらゆる商品を運んで来て、安息日に、しかもエルサレムでユダの人々に売っていた。

 ツロの人々は、海産物を販売していました。しかし、それは安息日で、しかも、エルサレムでのことであり、買い手は、ユダの人々でした。

13:17 そこで、私はユダの有力者たちを詰問して言った。「あなたがたが行っているこの悪事は何か。安息日を汚しているではないか。

 ネヘミヤは、ユダの有力者たちを責めました。彼らは、エルサレムでの民の行動について、また、出入りする異邦人の行動について責任がありました。彼らを治めるべきなのです。民は、安息日を汚していました。

13:18 あなたがたの先祖も、このようなことをしたので、私たちの神はこのすべてのわざわいを、私たちとこの都の上にもたらされたのではないか。それなのに、あなたがたは安息日を汚して、イスラエルの上にまたもや御怒りを招こうとしている。」

 彼は、安息日を汚すことの重要性について認識させました。そのようなことのために、イスラエルは御怒りを受け、災いを受けたのです。

13:19 安息日の前、エルサレムの門に夕闇が迫ると、私は命じて扉を閉めさせ、安息日が終わるまでは開いてはならないと命じた。そして、私の配下の若い者の何人かを門の見張りに立て、安息日に荷物が持ち込まれないようにした。

 ネヘミヤは、再建された城壁の扉を安息日に閉じました。それこそ、城壁と扉による聖別という目的になかった使い方です。正常に守られないならば、強制的に実行するしかないのです。

13:20 それで商人やあらゆる品物を売る者たちは、一、二度エルサレムの外で夜を過ごした。

13:21 そこで、私は彼らを戒めて言った。「なぜ、あなたがたは城壁の前で夜を過ごすのか。もう一度このようなことをすれば、私はあなたがたを処罰する。」その時から、彼らはもう安息日には来なくなった。

 それでも、門の外で夜を明かす者たちがいました。ネヘミヤは、彼らに対して処罰を実行すると警告し、彼らは来なくなりました。

13:22 また私はレビ人に、安息日を聖なるものとするために、彼らが身をきよめ、門の見張りとして来るように命じた。私の神よ、このことにおいても、どうか私を覚えていてください。そして、あなたの豊かな恵みにしたがって私をあわれんでください。

 彼のしたことを覚えること、彼を宝の民として扱うことは、契約に基づきます。それで、そうしてくださることを要求しています。

・「あわれんで」→覆う。あわれむ。同情する。

・「恵み」→契約に対する忠誠。

13:23 そのころまた私は、アシュドデ人、アンモン人、モアブ人の女を妻にしているユダヤ人たちに気がついた。

13:24 彼らの子どもの半分は、アシュドデのことばか、あるいはそれぞれほかのことばを話して、ユダヤのことばが分からなかった。

 異邦人を妻にしているものがあり、その子たちは、ユダヤの言葉がわかりませんでした。言葉が分からないことが特に取り上げられているのは、それが最も重大なことであるからです。神の言葉が分からなければ、彼らは、神を信じることさえできないのです。

13:25 そこで私は彼らを詰問してののしり、そのうちの数人を打って毛を引き抜き、神にかけて誓わせて言った。「あなたがたの娘を彼らの息子に嫁がせてはならない。また、彼らの娘をあなたがたの息子、あるいはあなたがた自身の妻としてはならない。

 彼は、罪を犯している人たちに、なぜそれが悪いかを分からせている。彼らが自分を変えるためには、自分のしていることが悪であると分からなければならないからです。自分のしたことが罪であると理解しなければ、そこから変わることはありません。あるいは、神の前に罪を認めることがないのです。

 彼は、非常に激しく彼らを責め、誓わせました。

13:26 イスラエルの王ソロモンも、このことで罪を犯したではないか。多くの国の中で彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、その彼にさえ異国人の女たちが罪を犯させてしまった。

 それで、ソロモンの例を出しました。彼は、神に愛された人です。そのソロモンのような王でも、異邦人の女のために罪を犯したのです。

13:27 あなたがたについても、異国人の女を妻とし、私たちの神の信頼を裏切るという、この大きな悪が行われていることを聞かなければならないのか。」

 彼らのしたことは、私たちの神の信頼を裏切ることです。

13:28 大祭司エルヤシブの子エホヤダの子の一人は、ホロン人サンバラテの婿であった。それで、私は彼を私のところから追い出した。

 大祭司の孫が、サンバラテ娘と結婚し縁を結んでいました。それで追い出しました。

13:29 私の神よ、どうか彼らのことを覚えていてください。彼らは祭司職を汚し、祭司職とレビ人たちの契約を汚したのです。

 彼らは、祭司職とレビ人の契約を汚しました。律法によってきよさを保つために規定があるのです。それを犯しました。

13:30 私は異教的なもの一切から彼らをきよめ、祭司とレビ人のそれぞれの務めにしたがって職務に就かせ、

13:31 定められた時に行う薪のささげ物と、初物についても規定を定めた。私の神よ、どうか私を覚えて、いつくしんでください。

 祭司とレビ人を異教的なものから清めました。彼は、それらのことに対して神が覚えてくださり、いつくしんでくださるように願いました。彼は、神の契約が守られるように労苦したのです。それに対して、神が契約を果たし、彼をいつくしんでくださることを求めたのです。