テサロニケ第二3章
3:1 最後に兄弟たち、私たちのために祈ってください。主のことばが、あなたがたのところと同じように速やかに広まり、尊ばれるように。
最後に、祈っていただくように求めました。それは、御言葉が速やかに広まるため、また、尊ばれるためです。テサロニケでは、御言葉は、速やかに広まり、また尊ばれていました。テサロニケの信者の幸いは、伝えられた言葉を神の言葉として信じていたことです。その彼らによって伝えられた言葉は、速やかに広まり、また、尊ばれたのです。彼らが、神の言葉として受け入れていたとしても、速やかに広まらないこともあります。伝える者が神の言葉として強い確信を持っていなかったとしたら、尊ばれないのです。テサロニケの信者は、強い確信を持って伝えたのです。
ここには、御言葉が主題として祈りがなされています。
3:2 また、私たちが、ひねくれた悪人どもから救い出されるように祈ってください。すべての人に信仰があるわけではないからです。
また、ひねくれた悪人どもから救い出されることを求めました。ひねくれたと表現されているのは、彼らが真っ直ぐに御言葉を受け入れることがないことを言っています。すなわち、ひねくれているのです。彼らは、悪人です。正しいことを求めないのです。彼らには、信仰がないのです。
ここにも、御言葉を信仰によって受け入れることが取り上げられています。反対者たちは、ひねくれていて受け入れないのです。
3:3 しかし、主は真実な方です。あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。
彼は、自分たちの守りについて祈ってくださるようにお願いしましたが、同じように悪い者のいる中にあるテサロニケの人々について、主が真実な方であり、守ってくださると励ましました。
3:4 私たちが命じることを、あなたがたは実行していますし、これからも実行してくれると、私たちは主にあって確信しています。
そして、テサロニケの信者が、パウロたちの命じたことを守ってくれると確信していますと言いました。彼は、それを勧めとして与えたいのですが、テサロニケの信者に関しては、非常に良い状態にありました。それで、勧めではなく確信していますと言い、強い期待を表明しています。テサロニケの信者は、命じたことをすでに行っていたのです。
私たちにも、主から、同じように命令を実行することが求められています。命じられていることを実行することが必要です。御言葉は、安易に取り扱うべきではありません。よく読み、よく聞き、実行するのです。
これは、御言葉を行うことの勧めです。
3:5 主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐に向けさせてくださいますように。
命令の実行として、その心が、神の愛と、キリストの忍耐に向かうように祈りました。
ここでは、御言葉を行う動機付けについて取り上げています。神の愛を知ってそれに応えるのです。また、キリストの忍耐は、肉に対して死に御心を行うことにおける忍耐です。キリストの完全な模範を知って倣うのです。
3:6 兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な歩みをして、私たちから受け継いだ教えに従わない兄弟は、みな避けなさい。
ここからは、怠惰で仕事をしない人たちに関する勧めです。彼らの行動について、再臨を待ち望んでいたからだという解釈がありますが、御言葉には関連付けがありません。それに、再臨について覚えたならば、むしろ報いを望んで熱心に仕事に身を入れるはずです。彼らの怠惰については、パウロは最初から見抜いていたし、それに関する命令も与えているのです。それなのに従わない人たちがいたのです。
彼らの間には、パウロたちから受け継いだ教えに従わない者たちがありました。その教えに従うのではなく、怠惰な歩みをしていました。そのような兄弟は、みな避けるように命じました。前の節では、神の愛に向くように言いましたが、ここでは、兄弟を避けるように命じました。この命令は、「私たちの主イエス・キリストの名」による強いものでした。
このように、伝えられた言葉に従わないことに対しては、めりはりを付け、このような処置をしなければならないのです。教えを無視することは重大です。
3:7 どのように私たちを見習うべきか、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたの間で、私たちは怠惰に暮らすことはなく、
3:8 人からただでもらったパンを食べることもしませんでした。むしろ、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜昼、労し苦しみながら働きました。
3:9 私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちを見習うように、身をもって模範を示すためでした。
彼は、自分たちの模範を取り上げました。パウロたちは、教えだけでなく、模範を示したのです。怠惰に暮らすことをしませんでした。人からただでパンをもらうことはありませんでした。テサロニケの信者に負担をかけないようしたのです。昼夜、労し苦しむ働きをしたのです。
3:10 あなたがたのところにいたとき、働きたくない者は食べるな、と私たちは命じました。
パウロの命令は、的確で明確なものでした。「働きたくない者は、食べるな。」と。誰も自分の食は、自分で得なければならないのです。働かないことは、食べられないということです。誰も食べないで済ますわけにはいきません。働くべきなのです。
3:11 ところが、あなたがたの中には、怠惰な歩みをしている人たち、何も仕事をせずにおせっかいばかり焼いている人たちがいると聞いています。
3:12 そのような人たちに、主イエス・キリストによって命じ、勧めます。落ち着いて仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。
テサロニケの信者の中には、怠惰な歩みをしている人たちがいました。また、何も仕事をしないで、おせっかいばかり焼いている人たちがいました。何が原因でそのような歩みをするようになったかについては、手紙には明確に記されていません。再臨が近いと考え、地上の生活に身が入らなかったという説もありますが、御言葉の根拠があるものではありません。
彼らが怠惰な生活をしていたことは、正しいことではありません。パウロは、強い命令と勧めとして、落ち着いて仕事をすること、また、自分のパンを食べるように命じました。
3:13 兄弟たち、あなたがたは、たゆまず良い働きをしなさい。
怠惰な生き方ではなく、たゆむことなく、神の前に尊い、人を励ます価値ある働きをすることを勧めました。
・「良い働き」→他の人を奮い立たせる、また尊いことをするという善を行うこと。
3:14 もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。
3:15 しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。
この手紙に書いたパウロたちの言葉に従わない者たちがいた場合、そのような人たちに注意を払らうように命じました。本当にそうなのかどうかがわかるためです。そして、交際しないようにするのです。そのようにすることで、その人が恥じ入るためです。悔い改めるためです。
その取り扱いについては、命令に従わないということで、敵とみなすようなことはせず、兄弟として諭すのです。彼が正しいことを受け入れるようにするのです。
3:16 どうか、平和の主ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてとともにいてくださいますように。
御言葉に従うことで完全さがもたらされるのです。神は、そのために働いておられます。御言葉の勧めはそのためにあります。そのようにして、テサロニケの信者が完全になることを祈りました。そのような者とともに主はおられます。それが実現することを願ったのです。
・「平和」→神の御心を行うことで与えられる完全さ。
3:17 私パウロが自分の手であいさつを記します。これは、私のどの手紙にもあるしるしです。このように私は書くのです。
3:18 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。
テサロニケの信者のために主イエス・キリストの「恵み」を祈りました。その恵みは、パウロたちから伝えられた言葉を信仰によって受け入れ、守ることで実現します。主が信者のために好意によって用意された祝福は、信仰によって受け入れたとき実現します。