コロサイ4章

4:1 主人たちよ。あなたがたは、自分たちも天に主人を持つ者だと知っているのですから、奴隷に対して正義と公平を示しなさい。

 主人の立場にある人は、奴隷に対して正義と公平を示すのです。

・「正義」→正しさ。神の目に適っている。神によって承認されている。

・「公平」→公平。

4:2 たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。

 祈ることと、目をさますことが関連付けられています。祈らないことで、眠ることが示唆されています。私たちは、主の業を祈りをもって実現していただきつつ歩みます。そのように業をなさることに対して感謝しつつ祈ります。そのようにして眠らず御心を行って歩むのです。

4:3 同時に、私たちのためにも祈ってください。神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢につながれています。

 パウロたちのために祈ってくださるように願いました。パウロたちの務めは、神の御言葉を宣べ伝えることです。それは、キリストの奥義であり、啓示によって明らかにされたことです。ですから、人々に宣べ伝えることは、大切な務めです。今日、聖書が完成しいますので、御言葉から神の御心を知ることができることは幸いです。

4:4 また、私がこの奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように、祈ってください。

 彼は、また、奥義を語るべき語り方で明らかに示すことができるように祈ってくださることを願いました。語るべき語り方については、次節以降彼らに対する勧めとして記されています。

4:5 外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。

 外部の人たちに対しては、機会を十分に用いつつ、知恵の内に歩むのです。すなわち知恵をもって行動するのです。

・「機会を十分に用いる」→時を買い戻す。

4:6 あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。

 そして、いつでも恵みのうちに語るのです。恵みは、神が備えた祝福です。信仰によって獲得できます。それを獲得するように勧めるのです。

 それは、塩味の効いたものです。塩は、永遠の契約を表しています。それにふさわしい言葉ということです。御国で報いを相続することが永遠の契約です。ですから恵みによって現されている祝福は、御国の相続のことです。

 それにより、一人ひとりに対する答え方を知ることができます。人間的な考え、あるいはこの世の幸いを求めるような考えで答えないのです。御心に適った歩みをし、報いを相続することに価値があることを念頭に答えるのです。

・「親切」→恵み。

4:7 私の様子はすべて、愛する兄弟、忠実な奉仕者、主にある同労のしもべであるティキコが、あなたがたに知らせます。

4:8 ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。

4:9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。

 オネシモとティキコがパウロたちの様子をコロサイに伝えます。それは、パウロたちの様子を知って心に励ましを受けるためです。パウロたちが皆、困難の中で信仰に立って歩んでいることを知ることは励ましになります。

4:10 私とともに囚人となっているアリスタルコと、バルナバのいとこであるマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もし彼があなたがたのところに行ったら迎え入れるように、という指示をあなたがたはすでに受けています。

 バルナバとマルコについての言及があります。マルコは、パウロとともにいて証しを担っていて、彼も囚人になっていました。マルコがコロサイに行ったら迎え入れるように指示しておきました。一人の尊い兄弟として配慮しています。

 なお、使徒十五章の記事で、集会の様子を見るための旅に向かうにあたって、パウロとバルナバが別行動を取ったことを受けて、仲違いしたとする解釈があります。そして、ここで回復している証しを見ることができるとしています。しかし、仲違いしたとすることは誤りです。

使徒

15:36 それから数日後、パウロはバルナバに言った。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。」

15:37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを一緒に連れて行くつもりであった。

15:38 しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かないほうがよいと考えた。

15:39 こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行き、

15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。

15:41 そしてシリアおよびキリキアを通り、諸教会を力づけた。

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「激しい議論」は、強く勧めること。中態で記されいますので、勧めたり勧められたりしたのです。そして、別行動を取りました。強く勧めるのは、強い確信があるからで、互いに譲れないので、それぞれの正しいと考えるところに従って行動することになったのです。

 パウロがマルコを伴わない理由はここに記されていて、働きに同行しなかったからです。バルナバがマルコを伴う理由は記されていません。今までの彼の行動から、働きを離れて証しを損なった者を回復させようとしたことによると推察されます。マルコは、罪を犯したわけではありませんが、その時、困難の中にある信者を励ます働きには、ふさわしくありませんでした。

 バルナバは、パウロの意見を受け入れ、信者の励ましのためにパウロと行くことをさせず、自分がマルコの訓練のためにキプロスを回る旅に連れ出したのです。これも大切な働きです。

 パウロは、当初の目的にふさわしい人物としてシラスを選び連れて行きました。

 このように、互いによい働きのために旅に出たのであり、仲違いではないのです。

4:11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼のある人では、この三人だけが神の国のために働く私の同労者です。彼らは私にとって慰めになりました。

 ユストを含め三人だけが割礼のある人たちで、ユダヤ人です。彼らが慰めになりました。彼らが神の国のために働く同労者であるからです。神の国は、本来選びの民であるユダヤ人がまず獲得すべきものです。多くのユダヤ人がそれを獲得できないのです。その中で、神の国を相続する者となっている彼らが慰めなのです。

4:12 あなたがたの仲間の一人、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように、あなたがたのために祈りに励んでいます。

 エパフラスは、コロサイの信者の仲間ですが、コロサイの信者のために神に祈っていました。彼らが神の御心のすべてを確信することです。キリストを信じた者でも。神の御心のすべてを確信しているとは限りません。ある方は、滅びから救われたことで満足しています。しかし、目指すべは遥か上にあります。それは、完全な成長に達することです。揺るぐことなくその達した状態に立つことです。達すべき目標は、キリストです。神の御心だけを求められ、肉を持たれましたが肉にはよらず御霊によって完全に神の御心を成し遂げました。そのような成熟に達すべきなのです。

・「成熟した」→必要な段階を通り最終目標に到達するために進むことから得られる完全な成長。

4:13 私はエパフラスのために証言します。彼はあなたがたのため、またラオディキアとヒエラポリスにいる人々のため、たいへん苦労しています。

 このことを証言するのは、彼の苦労にふさわしく彼らが変えられるためです。

4:14 愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。

4:15 どうか、ラオディキアの兄弟たちに、またニンパと彼女の家にある教会に、よろしく伝えてください。

 ラオディキアの兄弟たち、また、ニンパの家の教会は、コロサイの集まりとは別ですが、その兄弟たちに挨拶を送りました。

4:16 この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキア人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたも、ラオディキアから回って来る手紙を読んでください。

 手紙を受けた人々だけでなく、近くのラオディキアの教会でも読まれるようにし、別に宛てた手紙が回ってきたら読むようさせました。パウロは、使徒として手紙を書いています。それは、啓示を受けて神の御心を教える役割を担っているからです。

4:17 アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」と言ってください。

 アルキポに関しては、主にあって受けた務めがよく果たされていない状態にあったことが伺えます。個人の自由ということではありません。それは、主が与えた勤めであり、果たされなければならない務めです。

4:18 私パウロが自分の手であいさつを記します。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。

 パウロが主のために牢に繋がれていることを覚えることで、彼らは、励ましを受けることができます。また、パウロが主の働きをなすことができることを祈る必要があります。

 彼らのためには、恵みがあるように祈りました。主が備えた祝福を彼らが信仰によって獲得することを願ったのです。主の御心を知り、それを行って完全な成長に達することで、その祝福を獲得できます。御国において報いを相続するのです。