エステル記1章
1:1 クセルクセスの時代、クセルクセスが、インドからクシュまで百二十七州を治めていた時のことである。
1:2 クセルクセス王がスサの城で、王座に着いていたころ、
1:3 その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシアとメディアの有力者、貴族たち、および諸州の首長たちが出席した。
前王のダリヨスは、ギリシャ遠征で勝利が得られない中、バビロンとエジプトの反乱がおこり、ギリシャ遠征を果たさぬ間に死去した。クセルクセス王は、そのようなときに王位につき、彼は、まずバビロンとエジプトの反乱を平定した。そして、ギリシャ遠征を決意し、士気高揚の目的と考えられる宴会を催した。
1:4 王は彼の王国の栄光の富と大いなる栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。
宴会の目的は、王国の栄光と富と栄誉を示すためです。百八十日という長さによっても、その勢力の偉大さを示しています。
これは、歴史の事実に基づく書です。しかし、他の書と異なり「神」あるいは「主」の名が記されていません。それは、この書は、全編が比喩になっているからです。ある解釈のように、「主は、帰還しない民とは、共におられないからである。」とすることは当たりません。主は、豊かに働いておられ、歴史的事実さえ、巧みな比喩となっています。
王は、神の比喩になっています。この書で、主の名が使われたのでは、比喩が崩れてしまいます。モルデカイは、キリスト、そして、エステルは、教会の比喩です。百八十は、毎日示されたことを表していますが、六か月でもあります。六が表しているのは、人であって、すべての人に神の栄光が示されたことを表しています。
1:5 この期間が終わると、王は、スサの城にいた身分の高い者から低い者に至るまでのすべての民のために、七日間、王宮の園の庭で宴会を催した。
次に、王は、スサの城にいた民のために宴会を催しました。これは、王即ち神の近くにいる者たちに示された栄光であって、その期間は、七日間であり、満たす意味での完全です。栄光は、特定の尺度で測れるものではないので、その完全さを示す時には、七になります。神の栄光を完全に示し、それを理解できる者たちは、神のものとされた敬虔な人たちであるのです。
1:6 白綿布や青色の布が、白や紫色の細ひもで大理石の柱の銀の輪に結び付けられ、金と銀でできた長椅子が、緑色石、白大理石、真珠貝や黒大理石のモザイクの床の上に置かれていた。
王の栄光として示されているものは、富の量ではなく、栄光の本質の尊さを比喩によって示しています。白亜麻布は、義を表しています。青は、神です。白は、義、紫は、王を表しています。大理石の柱は、神の支配権を表しています。
雅歌書
5:15 足は大理石の柱で、純金の台座に据えられている。その姿はレバノンのよう。その杉の木のようにすばらしい。
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足は、大理石の柱にたとえられています。足は、支配権を表しています。それは、黙示録に主イエス様の光輝く真鍮の足として示されています。大理石は、神としての支配権が示されています。それは、義の支配です。その柱についている銀の輪は、贖いを表しています。義の支配は、贖いによってより豊かな栄光を表しています。
金と銀の椅子は、義と贖いによって与えられる交わりを表しています。それは、キリストとの深い交わりの関係を味わうために与えられています。
雅歌書
1:16 私の愛する方。ああ、あなたはなんと美しく、慕わしい方。私たちの寝床も青々としています。
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椅子が青々しているように、それは命にあふれています。
緑色石:大理石の一種で舗装に用いられた
白大理石:紫のもの
真珠貝:真珠
黒大理石:高価な石の一種、舗装に用いた
これらは、一つ一つを正確に特定することはできません、真珠については、箴言で、最も価値ある宝石として示されています。床に使われていたものが高価な石であることが示されています。モザイクの床でしたが、神の栄光を表しています。神の栄光を表す石の上にあって、贖われた者が主との深い交わりを持つことができることは、神の栄光の大きな部分を占めていることを表しています。
1:7 金の杯で酒がふるまわれたが、その杯は一つ一つ種類が違っていた。王室のぶどう酒は、王にふさわしく豊かにあった。
1:8 しかし飲酒は、「強要しないこと」という法に従っていた。だれでもそれぞれ自分の思いのままにさせるようにと、王が宮廷のすべての長に命じていたからである。
金の杯によってふるまわれる酒は、強いられない自由が与えられていました。それは、義とされた者が罪の奴隷とされていないことを表しています。神からの祝福を自由とされた中に味わうことができる者とされています。
それは、今日、罪の奴隷から解放され、義の行いをなし、神からの祝福を味わう者とされていることを表しています。なお、この罪は、内住の罪のことです。その罪に支配されて人は罪を犯すのです。
1:9 王妃ワシュティも、クセルクセス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。
王妃は、ユダヤ人の比喩です。それは、神を表す王の妻としての立場です。彼女は、王の威光の中にあって、婦人たちとともにその祝福に与ったのです。婦人たちは、一人一人のユダヤ人を表しています。
1:10 七日目に、クセルクセス王はぶどう酒で心が陽気になり、王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じ、
1:11 王妃ワシュティに王冠をかぶらせて、王の前に連れて来るようにと言った。彼女の容姿がすばらしかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。
1:12 しかし、王妃ワシュティは宦官から伝えられた王の命令を拒み、来ようとはしなかった。そのため王は激しく怒り、その憤りは彼のうちで燃え立った。
王は、ワシュティの美しさを民と首長たちに見せるためでした。しかし、彼女は、それを拒みました。
その時は、七日目とあります。それは、満ちる意味での完全を現す期間で、その時、イスラエルは、神の前に出たのです。歴史的には、神の御子イエス様の前にイスラエルは、立つはずであったのです。そのためには、七人の宦官が遣わされましたが、これは、神の前に美しい者として立たせる預言者の働きを表しています。しかし、イスラエルは、神の前に立つことを拒んだのです。
神様にとってイスラエルは、ご自分の宝として自慢であるのです。神を信じたことが神の御心にかなったのです。アブラハムをことさらに喜ばれました。そして、彼らが信仰によって神を恐れ、神の言葉に従うことによって、神を信じる者とそうでないものを区別されて、信じる者たちをとおして神の栄光を現わさせようとされたのです。彼らが神の言葉に従う限り、彼らは、神の目に美しいのです。そして、律法を持っていることは、すべての民に対しての誇りであり、麗しさなのです。
しかし、イスラエルは、御言葉に従うことを拒んだのです。王の主権を認めず、それに従わなかったのです。彼らは、御子を拒みました。
1:13 そこで王は時を熟知している、知恵のある者たちに言った──このように、法令と裁判に詳しいすべての者に諮るのが、王の慣わしであった。
1:14 王の側近はペルシアとメディアの七人の首長たち、カルシェナ、シェタル、アデマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンで、彼らは王の面前に控えながら、王国の最高の地位に就いていた──
1:15 「王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたクセルクセス王の命令に従わなかった。法令にしたがって、彼女をどう処分すべきか。」
彼女への取り扱いは、法令に照らして吟味されました。彼女の罪は、王の命令に従わなかったということです。宦官によって表されている預言者の言葉に従わなかったのです。
1:16 メムカンは王と首長たちの前で答えた。「王妃ワシュティは王一人だけではなく、クセルクセス王のすべての州の全首長と全住民にも悪いことをしました。
1:17 王妃のことが女たちみなに知れ渡り、『クセルクセス王が王妃ワシュティに、王の前に来るように命じたのに、来なかった』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。
彼女の罪は、王に従わなかったという彼女自身だけの問題ではありませんでした。彼女が王の命令に従わなかったことによって、すべての民にその影響が及ぶことでした。従うべきものに従わないことがすべての民に蔓延するのです。彼女のしたことは、大いに証しを損なうことであったのです。
イスラエルが神の言葉に従うことを拒んだとき、イスラエルは、その証しを大いに損ないました。彼らは、その行動によって、神は恐れるに足りない方である誤解を世に対して示してしまったのです。
1:18 今日にでも、王妃のことを聞いたペルシアとメディアの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちにこのことを言って、並々ならぬ軽蔑と怒りが起こることでしょう。
1:19 もし王がおよろしければ、ワシュティはクセルクセス王の前に出てはならない、という勅令をご自分でお出しになり、ペルシアとメディアの法令の中に書き入れて、変更することのないようにされてはいかがでしょうか。王妃の位は、彼女よりももっとすぐれた者にお授けください。
神に従わないことを現した者は、退けられるのです。そして、神に従う他の者にその立場が与えられるのです。
マタイ
21:43 ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。
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1:20 王が出される詔勅がこの大きな王国の隅々まで告げ知らされれば、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を敬うようになるでしょう。」
1:21 この進言は王と首長たちの心にかなったので、王はメムカンの言ったとおりにした。
1:22 王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはその言語で書簡を送り、男子はみな一家の主人となること、また自分の民族の言語で話すことを命じた。
それは、実施され、男女の役割が王の命令として明確にされました。それは、神と神に従う者の関係を表しています。
ですから、実際問題、家庭における証しの大切さということも教えています。夫が妻を愛する、妻が夫を敬う、子が親に従うなど、実際の行動によって、信者が神とキリストを敬っていることを証しするのです。
エペソ
5:22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。
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コロサイ
3:18 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。
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テモテ第一
2:11 女は、よく従う心をもって静かに学びなさい。
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テトス
2:5 慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、自分の夫に従順であるように諭すことができます。神のことばが悪く言われることのないようにするためです。
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ペテロ第一
3:1 同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。
3:5 かつて、神に望みを置いた敬虔な女の人たちも、そのように自分を飾って、夫に従ったのです。
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