詩篇99編
99:1 主は王である。国々の民は恐れおののけ。ケルビムの上に座しておられる方に。地よ震えよ。
詩篇98篇は、主の裁きと喜びが主題です。この詩では、主の裁きと恐れです。
主が王であることがはじめに示されてます。「王である」は動詞で、王であることや王になること、また、統治することを表します。
座すこととケルビムが関連付けられていますが、「~の上に」という前置詞はありません。エゼキエル書一章には、その座がケルビムのはるか上方にあることが記されています。英語訳では、「間に」と補足されています。ここでは、主の座が高いところにあることを示しているのですから、エゼキエル書の表現を採用することは適切です。他と比較して、はるかに高いことを示すことで、いかに恐るべきかを示すことができます。
地に対しては、震えよと命じられています。震えることは、恐れを表す表現です。
99:2 主はシオンにおられる大いなる方。主はすべての国々の民の上に高くいます。
その高きにおられる主は、また、シオンにおられる方であり、大いなる方です。
主は、シオンにおられ、イスラエルとともにおられますが、諸国の民の上に高くおられます。
99:3 大いなる恐れ多い御名をほめたたえよ。主は聖なる方。
「主は聖なる方。」→動詞「恐れる」が訳出されていない。(彼らに)あなたの御名を褒め称えさせよ。また、聖なる方を恐れよ。
主は、高きにおられる方です。俗なるものとは分離した方として聖なる方なのです。
99:4 王は力をもってさばきを愛する。あなたは公正を堅く立てさばきと正義をヤコブの中で行われた。
→「そして、王の力は、正義を愛した。あなたは、公正、正義、正しさをヤコブのうちに打ち立てら、成し遂げられた。」
主は、公平、正義、正しさを打ち立てるために働かれたのです。主は、聖なる方であるから、それらを打ち立てられるのです。
99:5 われらの神主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖なる方。
主は、このように聖なることにふさわしく統治されます。それによって主の聖なることが現されるのです。それで、私たちの神、主を崇めるように求められています。イスラエルにとって、支配者であり、そして、イスラエルを特別に扱われる約束の履行者である主を崇めるのです。
主を崇めることは、その足台のもとにひれ伏すことです。足台は、神殿です。イスラエルの真ん中に臨在される方であり、実在の方です。ですから、主を軽く考えず、実生活の中で、それを現すことで、主を崇めることになるのです。具体的には、親子や、夫婦の人間関係にも現れます。私たちが愛しているものによっても明らかになります。恐れをもって栄光を帰すのです。
主は、偉大なる統治者として聖なる方なのです。
99:6 モーセとアロンは主の祭司たちの中にサムエルは御名を呼ぶ者たちの中にいた。彼らは主を呼び主は彼らに答えられた。
主は、呼び求める者たちに答える方です。モーセ、アロンは、祭司として主を呼び求めました。サムエルは、神の人として主を呼び求めました。彼らに答えることで、栄光を現されました。
99:7 主は雲の柱から彼らに語られた。彼らは主のさとしと主が賜ったおきてを守った。
雲の柱は、主が語られることを表しています。事実そのようにされたのです。それは、具体的には主が賜ったおきてとさとしであり、彼らは、それを守ったのです。
今日、雲の柱は、私たちを導く聖霊の比喩です。その方は、御言葉によって私たちを導く方であり、その御言葉を守らせる方です。
99:8 われらの神主よあなたは彼らに答えられた。あなたは彼らには赦しの神彼らの悪しきわざには報復される方。
主は、答えられました。罪に対しては、赦しを与えられました。一方で、悪き業には、報復されます。
99:9 われらの神主をあがめよ。その聖なる山に向かってひれ伏せ。まことにわれらの神主は聖なる方。
赦しに富み、正しく事を行う方であるので、崇めるのです。その方は、聖なる山であるシオンにおられます。ごく近くに臨在されるのです。その方を崇めひれ伏すのです。ふさわしい恐れを抱き、栄光を帰すのです。
主は、呼ぶ者に答え、また、御心を示される方であるので、聖なる方であるのです。
雲の柱
出エジプト記
13:21 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
13:22 昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。
14:19 イスラエルの陣営の前を進んでいた神の使いは、移動して彼らのうしろを進んだ。それで、雲の柱は彼らの前から移動して彼らのうしろに立ち、
14:24 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱の中からエジプトの陣営を見下ろし、エジプトの陣営を混乱に陥れ、
33:9 モーセがその天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。こうして主はモーセと語られた。
33:10 雲の柱が天幕の入り口に立つのを見ると、民はみな立ち上がって、それぞれ自分の天幕の入り口で伏し拝んだ。
民数記
12:5 主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入り口に立って、アロンとミリアムを呼ばれた。二人が出て行くと、
14:14 この地の住民に告げるでしょう。事実、住民たちは聞いています。あなた、主がこの民のうちにおられ、あなた、主が目の当たりにご自身を現されること、またあなたの雲が彼らの上に立ち、あなたが昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、彼らの前を歩んでおられることを。
申命記
31:15 主は天幕で雲の柱のうちに現れた。雲の柱は天幕の入り口にとどまった。
ネヘミヤ記
9:12 昼は雲の柱の中にあって彼らを導き、夜は火の柱の中にあってその行くべき道を照らされました。
9:19 あなたは大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼は雲の柱が彼らから離れず、道中を導き、夜は火の柱が、行くべき道を照らしました。
詩篇
99:7 主は雲の柱から彼らに語られた。彼らは主のさとしと主が賜ったおきてを守った。
イスラエルを導いた雲の柱は、主が語られることを表しています。