詩篇92編
賛歌。安息日のための歌。
表題から、このような詩が安息日に歌われたことが伺えます。
92:1 主に感謝することは良いことです。いと高き方よあなたの御名をほめ歌うことは。
感謝と褒め歌は、主の御心に適って良いのです。
・「良い」→御心に適っている。良い。美しい。
92:2 朝にあなたの恵みを夜ごとにあなたの真実を告げることは。
感謝と褒め歌は、何についてのものかが明らかにされています。それは、恵みと真実です。
・「恵み」→契約に対する忠誠。
・「真実」→神の真実。契約を怠りなく実行する真実。
92:3 十弦の琴に合わせ竪琴の妙なる調べにのせて。
楽器が表していることは、恵みと真実がどのようなものかを比喩として例えています。十弦の琴と竪琴は、弦の多さによって、妙なる調べを奏でます。それは、通り一遍の単純な音ではないのです。それだけ主の栄光は、多様なのです。
92:4 主よあなたはあなたのなさったことで私を喜ばせてくださいました。あなたの御手のわざを私は喜び歌います。
この感謝と褒め歌は、主のなさったことに対するものです。主の業で喜ばせてくださったので感謝があります。その御手の業を褒め歌として喜び歌うのです。
92:5 主よあなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御思いはあまりにも深いのです。
御業が形容として偉大また深いというだけでなく、御業が偉大にし、御思いは、深くするのです。主が変わるというよりも、この人がそれを知るようになるからです。
・「大きい」→偉大になる。動詞。偉大にする。
・「深い」→深くある。深くする。動詞。
92:6 無思慮な者は知らず愚か者にはこれが分かりません。
無思慮な人は、獣のように、神の御業の価値を知ることのない人です。愚か者は、自分を肥え太らす人で、自分を満たすことを中心に考えていますから、理解できないのです。
ですから、一度自分を捨てないと主御自身について知ることができないのです。今の価値観からは、主を知ることはできません。この世のものが価値あることであるからです。また、自分の欲を満たすことに価値があると考えているからです。
・「無思慮な者」→獣のような者。
・「愚か者」→太った人。愚かな人。
92:7 悪い者が青草のように萌え出で不法を行う者がみな花を咲かせてもそれは彼らが永久に滅ぼされるためです。
青草のように萌出ることは、いのちの現れを表しています。花を咲かせることは、栄光を現すことを表しています。悪い者すなわち犯罪者や不法を行う者すなわち不正の者は、御言葉に反したことを行う者たちです。そのような者たちが栄えても、いのちはなく、神の前になんの栄光もないのです。それで、永久に滅ぼされるのです。
・「悪い者」→犯罪者。
・「不法を行う者」→「不正を行う者」犯罪者を言い換えて、不正を行う者と表現しています。犯罪とは、神の御言葉に反して、不正を行うことです。
92:8 主よあなたは永遠にいと高き所におられます。
主は、永遠にいと高き所におられるのであり、永遠までも、最も高い方としてさばき、事をなされる方です。
92:9 主よまことに今あなたの敵がまことに今あなたの敵が滅びます。不法を行う者はみな散らされます。
敵は、今滅ぼされます。その敵は、不正を行う者たちです。彼らは、散らされるのです。
92:10 あなたは野牛の角のように私の角を高く上げ私にみずみずしい油を注がれました。
野牛は、力強さを表しています。その角は、権威を表しています。悪者が滅ぼされることに対比して、神の権威を帯びて高く上げられるのです。あるいは、神から権威を与えられて高く上げられるのです。
・「みずみずしい」→緑の。木、オリーブ、油を形容。いのちにあふれている様子。油は、聖霊の比喩で、聖霊による満たしといのちにあふれていることを表現しています。
92:11 私の目は私を待ち構えている者どもを眺め耳は私に向かい立つ悪人どものことを聞きます。
待ち構えている者共のことを見ました。そして、悪者共のことを聞くでしょう。何を見、聞くかが示されていませんが、九節に主のお取り扱いが示されていますので、悪者の滅びです。
92:12 正しい者はなつめ椰子の木のように萌え出でレバノンの杉のように育ちます。
なつめやしの木は、雅歌では、成長を表しており、なつめやしは、キリストの比喩です。レバノンの杉もキリストの比喩で、ここでは、その杉が育つと表現されていて、成長を表していることがわかります。そのように、成長し、キリストに似た者になるのです。
92:13 彼らは主の家に植えられ私たちの神の大庭で花を咲かせます。
彼らの植えられる場所は、主の家です。主の臨在の場所を表しています。主が共におられて成長するのです。そして、主が共におられるので、花を咲かせます。花は、栄光の現れです。その人自身のものではなく、主の栄光がその人を通して現されます。
萌出て、花を咲かせることが七節の悪者と対比されて記されています。悪者は、萌え出で花を咲かせても、永久に滅びるのです。
92:14 彼らは年老いてもなお実を実らせ青々と生い茂ります。
「年老いる」ことが取り上げられていますが、普通、年老いることでいのちはしぼんでいくのです。しかし、彼らは、年老いてもなお、実を実らせます。また、命にあふれています。神とともにあって御心を行うことが命です。彼らは、神と共にあって、実を結び続けるのです。
・「青々と」→いのちにあふれる様。
・「生い茂る」→豊かである様。
92:15 こうして告げます。「主は正しい方。わが岩。主には偽りがありません。」
信仰者に契約に基づく祝福を真実をもって現すことで、主の正しさが現されます。また、いと高き方として御力を現し、信頼を裏切らないことで揺るぐことのない岩なのです。その真実によって、偽りがないことが明らかにされます。