詩篇73篇
第三巻アサフの賛歌。
73:1 まことに神はいつくしみ深い。イスラエルに心の清らかな人たちに。
「いつくしみ深い」→「良い」。目に適った。
創世記
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
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「良しと見られた。」が該当します。
神が良いと言い表していますが、それは、人間の評価の基準によるのではなく、実に神の目に適った良さを表しています。
主が目に適った良いことをされるのは、心の清い人に対してです。この清さは、混じり気がないこと、また空っぽであることを表します。心は、御言葉を受け入れる部分であり、そこに混じり気がなく、自分の考えによって受け入れるべき御言葉を排除しないことを表しています。
アサフは、そのことを理解していました。
・「清らか」→混じり気がない。空っぽ。
73:2 けれどもこの私は足がつまずきそうで私の歩みは滑りかけた。
73:3 それは私が悪しき者が栄えるのを見て誇り高ぶる者をねたんだからだ。
しかし、彼自身に関しては、躓きそうでした。歩みが滑りかけたのです。少し躓いていたのです。彼は、神様のお取り扱いを理解していたにもかかわらず、自分の歩みに関してそれを完全に適用できてはいませんでした。
その理由が示されていて、彼が悪者の栄えるのを見て、誇り高ぶる者を妬んだからです。
73:4 実に彼らの死には苦痛がなく彼らのからだは肥えている。
73:5 人が苦労するときに彼らはそうではなくほかの人のように打たれることもない。
73:6 それゆえ高慢が彼らの首飾りとなり暴虐の衣が彼らをおおっている。
73:7 彼らの目は脂肪でふくらみ心の思い描くものがあふれ出る。
73:8 彼らは嘲り悪意をもって語り高い所から虐げを言う。
73:9 彼らは口を天に据えその舌は地を行き巡る。
73:10 それゆえこの民はここに帰り豊かな水は彼らに汲み尽くされる。
彼らは、いつまでも繁栄しているのです。そして、嘲と悪意の言葉を語り、民を支配する高いところから虐げを告げます。彼らは、天からの言葉のように語るのです。そして、その教えは、地を行き巡ります。民は、その虐げから逃れることができません。彼らの支配の元に戻るのです。
そして、彼らは、その教えのもとに虐げられ、本来受けるべき命の水を飲み尽くされるのです。
73:11 そして彼らは言う。「どうして神が知るだろうか。いと高き方に知識があるだろうか。」
73:12 見よこれが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで富を増している。
彼らは、神を恐れることがありません。神は見ていないと考えるのです。彼らは、いつまでも安らかで、富を増しています。
73:13 ただ空しく私は自分の心を清め手を洗って自分を汚れなしとした。
73:14 私は休みなく打たれ朝ごとに懲らしめを受けた。
彼は、悪者と自分を比較して見ていました。悪しき者は、死にも苦痛がないのです。彼らは、他の人のように苦労しません。神に対して高ぶっています。
彼自身は、心を清め、行いについても清めていました。しかし、彼は、それを空しいと表現しています。彼は、宮に仕える者レビ人として、神の前に自分を清めることをしていました。しかし、それを空しいと感じていたのです。
また、彼は、休みなく打たれ、災いを経験しており、それが懲らしめであることも神の前に出て認識していました。神の前に自らを清めつつ、仕えている彼には、苦しみが常にあったのです。
73:15 もしも私が「このままを語ろう」と言っていたならきっと私はあなたの子らの世代を裏切っていたことだろう。
彼は、表面的には、民の模範として歩んでいました。しかし、彼がその心のうちにある虚しさと、悪しき者を妬む思いをそのまま語ったとしたら、同じ時を生きるあなたの子らと言われる神の民を裏切ることになります。彼らは、この世のものを求めず、神を恐れて生きる生き方をしているのです。神に仕えることが虚しいと感じていることを告げるならば、彼らを躓かせることになります。
73:16 私はこのことを理解しようとしたがそれは私の目には苦役であった。
彼は、このことを理解しようとしました。このこととは、悪者に対する神様のお取り扱いです。しかし、彼の目には苦役でした。それを理解することが難しかったのです。彼の「目」で見ていたからです。原語には、「目にとって」と記されています。理解は難しいのです。目に見える現象で判断しようとしているからです。
73:17 ついに私は神の聖所に入って彼らの最期を悟った。
ついにとあるように、彼はやっと理解することができたのです。それは、聖所に入った時でした。聖所は、神の臨在の場所です。彼は、神の前に出たのです。彼は、神の観点から物事を理解する機会を得たのです。その時、悪者の最後を悟ることができました。
神の前に出て、神の観点から判断しない限り、正しく認識することはできないのです。
73:18 まことにあなたは彼らを滑りやすい所に置き彼らを滅びに突き落とされます。
彼が覚えたのは、主の主権による業です。主は、悪者を裁かれます。アサフは、歩みが滑りそうでしたが、主は、彼らが滑り、躓くようにされます。そして、彼らを滅びに突き落とされます。
73:19 ああ彼らは瞬く間に滅ぼされ突然の恐怖で滅ぼし尽くされます。
アサフは、悪者の繁栄を妬んでいましたが、彼らは、瞬く間に滅ぼされるのです。苦痛を知らないと思っていましたが、突然の恐怖のうちに滅し尽くされるのです。
73:20 目覚めの夢のように主よあなたが目を覚ますとき彼らの姿を蔑まれます。
目覚めの夢は、目覚めた瞬間に夢と現実の大きな変化が起こります。そのように、主が目覚めた時、即ち、今まで何もしていないかのように悪者をのさばらせていた時から変わって、裁きをなさる時、悪者は、繁栄から滅びに転落するのであって、全くその様相は変わるのです。悪者は、その時裁きを受け、蔑まれるのです。
73:21 私の心が苦みに満ち私の内なる思いが突き刺されたとき
73:22 私は愚かで考えもなくあなたの前で獣のようでした。
心が苦しみに満ち、たましいを教え込むために研がれた時、彼は主の訓練として受け入れたのではなく、愚かで考えもなく、主の取り扱いを理解できませんでした。まるで獣のようでした。
申命記
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
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子供たちを「鋭くする」すなわち「教え込む。」
・「内なる思い」→「腎臓」すなわちたましい。
・「突き刺された」→「鋭くする」「研ぐ」「教え込む」
73:23 しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。
彼は、その苦しみの中で絶えず主と共にいました。惑いつつも、主から離れなかったのです。彼がそうすることができたのは、主が右の手をしっかり掴んでくださったからです。主の支えがあったのです。
73:24 あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。
主のお取り扱いは、諭して導くことです。御言葉によって教え、そして、それを信じてその中を歩むように諭すのです。そのように導かれます。そして、そのような歩みの結果として栄光を与えるためです。
73:25 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。
天で、主以外誰も彼のものとして持たないのです。地では何も望みません。
・「あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。」→「天ではあなたの他に誰も持ちません。」
・「地では、誰をも望みません。」→「地では、何も望みません。」
73:26 この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。
この地では、身も心も終わるのです。しかし、彼は、神を心の岩としていました。揺るがない教えであり礎です。そして、相続地です。
彼が永久に持つのは、主御自身です。
73:27 見よあなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不実を行う者をあなたはみな滅ぼされます。
神から離れた者が受け継ぐのは、滅びです。主が、主に背き不実を行う者を滅ぼされます。
73:28 しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。
しかし、アサフにとっては、主の御傍にいることが幸せなのです。悪者のように、主から遠く離れたとしても、そこには滅びがあります。
それで、神である主を避けどころとして頼り、共に歩むのです。