詩篇17篇
ダビデの祈り。
17:1 主よ聞いてください正しい訴えを。耳に留めてください私の叫びを。耳に入れてください私の祈りを。これらは欺きの唇から出たものではありません。
彼が主に求めたことは、正しい訴えを聞いてくださることです。神様に祈り求めるのであれば、少なくとも自分が神の前に正しい関係を築いている必要があります。彼は、神様に正しい裁きを求めています。もし、そうであるならば、自分の訴えは、正しいものではなければなりません。神の目に正しいものである必要があるのです。
彼は、「叫び」を耳に留めてくださいと願いましたが、その求めは、心からの叫びであり、強い求めでした。
さらに、それは、彼の祈りでした。神様に委ねたのです。
これが、正しいものであることをさらに主張しています。欺きの唇から出たものではないと言っています。
17:2 あなたの御前で私のためのさばきが行われ御目が正しいことに注がれますように。
彼の求めたことは。自分のための裁きです。彼が求めた裁きは、神の前になされる御目に正しい裁きです。
17:3 あなたは私の心を調べ夜私を問いただされました。私を炉で試されましたが何も見つかりません。私は口の過ちを犯さないように心がけました。
彼自身は、その神の正しい裁きの前に立つ者として自分が正しい者であることを言い表しています。
主は、彼の心を調べたのです。また、炉で試されたのです。しかし、何も見つかりませんでした。また、彼は、語る言葉においても過ちを犯さないようにしました。「心がける」と訳されていますが、意味が弱いです。決意するという意味です。
17:4 人としての行いはあなたの唇のことばに従い無法者が行く道を避けました。
彼は、主の御言葉に従ったのです。御言葉に従わない無法者が行く道を避けたのです。
17:5 私の歩みはあなたの道を堅く守り私の足は揺るぎませんでした。
また、彼の歩みが主の道を堅く守り、足が揺るがなかったことを繰り返しています。
17:6 神よ私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。私に耳を傾けて私のことばを聞いてください。
そして、今に至るまで、神に呼び求めていました。それは、その方が応えてくださるからです。彼は、そのような経験の内に歩んできたのです。
17:7 あなたの右の手で奇しい恵みをお示しください。向かい立つ者どもから身を避ける者を救う方。
彼は、彼に敵対する者から救い出してくださるように願いました。彼は、主に身を避けていましたが、そのような者に答えて救い出すことは、「恵み」です。この「恵み」は、「契約に対する忠誠」という意味です。神様が、契約に従って忠誠をもって契約を果たすことを表す言葉です。しかも、右の手で示すと言い表し、神様が力をもってそれを実現されることを求めています。それは、また、奇しい契約に対する忠誠であって、人の思いを超えた業です。
17:8 瞳のように私を守り御翼の陰にかくまってください。
瞳のように守り、御翼の影に匿ってくださることを願いました。それは、かつて神様が荒野でイスラエルを取り扱われたときに語られたことです。
申命記
32:10 主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。
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大胆な祈りですが、それが御自分のものとされた民に対するお取り扱いであり、契約による祝福なのです。
17:9 私を襲う悪しき者から私を取り巻く貪欲な敵から。
彼が正しい裁きによって、敵から守られるように願ったのは、敵は、悪しき者だからです。また、貪欲な者だからです。
17:10 彼らは鈍い心を固く閉ざしその口をもって高慢に語ります。
また、彼らの本質的な悪は、鈍い心を固く閉ざしていることです。これは、神の言葉を受け入れない頑なさを表しています。神の言葉を聞いてもなんの反応もないのです。鈍いのです。御言葉が語られてもそれを聞こうとしないし、受け入れようとしないのです。
また、高慢に語ります。「高慢」は、神の言葉に対する高慢なのです。彼は、神の言葉を受け入れるのでなく、自分の考えを主張するのです。
17:11 彼らは私たちの跡をつけ今取り囲み目を据えて地に投げ倒そうとしています。
彼らは、跡をつけます。これは、意図的に狙う行動です。取り囲むことは、逃げないようにするためです。そして、目を据えることは、明確な意思をもって行動することです。
17:12 それはまるでかみ裂くことに飢えた獅子待ち伏せしている若い獅子のようです。
それは、獅子のようです。かみ裂くことに飢えています。また、待ち伏せしている若い獅子のようです。それは、また、悪魔の比喩でもあります。
17:13 主よ立ち上がり彼の前に進み行き打ちのめしてください。あなたの剣で悪しき者から私のたましいを助け出してください。
主が彼らを打ちのめしてくださることを願いました。
そのうえで、彼が助け出されることを求めたのは、彼のたましいです。それをするのは、あなたの「剣」です。これは、御言葉の比喩です。御言葉に従って敵を討たれますが、それとともに、彼自身にとっても、御言葉は、彼を救い出すものとなります。彼の歩みが苦難の中で健全に保たれるのは、主の言葉によるのです。
17:14 主よ御手をもって人々から相続分が地上のいのちであるこの世の人々から私のたましいを助け出してください。あなたの蓄えで彼らの腹は満たされ子たちは満ち足りその余りをさらにその幼子らに残します。
彼が求めたのは、たましいの救いです。この世の人々の求めていた相続分は、地上のいのちです。彼の求めていたのは、御国の相続です。彼らは、神様の蓄えで腹を満たし、子どもたちも幼子も養われたのです。彼らはこの地のもの求め、満ち足りています。
17:15 しかし私は義のうちに御顔を仰ぎ見目覚めるとき御姿に満ち足りるでしょう。
しかし、ダビデは、御顔を仰ぎ見ています。地上の歩みにおいて、義のうちに御顔を仰ぐことができるのです。彼は、正しい歩みをしていたからです。そして、目覚めるときは、御姿を拝するときです。それは、御国において御姿を拝するときです。彼の歩みが真に評価されるときです。その時、満ち足りるのです。
もし、この地上のものに心を留めていたならば、彼は、その時、満ち足りることはないでしょう。彼が求めていたたましいの救いは、御国に入ったときに報いが受けられることです。