詩篇13篇

指揮者のために。ダビデの賛歌。

13:1 主よいつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。

 ダビデは、主の救いを待っていました。しかし、それは永久に忘れられたかのように、ダビデには届きませんでした。まるで、主が御顔を隠しておられるかのようです。

13:2 いつまで私は自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのでしょう。私の心には一日中悲しみがあります。いつまで敵が私の上におごり高ぶるのですか。

 彼は、自分のたましいのうちで思い悩みました。思い悩むことは、通常は心の問題ですが、「たましい」という語を用いることで、これが霊的な歩みに関することであることがわかります。彼の思い悩みは、いかに主に従って生きるかということです。

 私たちの悩みは、経済的な問題、病気など肉体的な問題、職場での悩み、家庭での問題、また人間関係などです。私たちは、時としてその問題だけに目を留めますが、大切なのは、いかに主に従うかということです。そのような問題がある中にも、私たちが御言葉を求め、真理のうちを歩み、主に信頼することです。

 ダビデは、思い悩み、一日中心に悲しみがありました。それは、敵が彼の上におごり高ぶっていたからです。このおごり高ぶりは、三節以降のダビデの「目」と対比されています。たましいの悩みに深く関係しているのが敵のおごり高ぶりであり、それは、御言葉に対して高ぶり、従わない態度です。そして、その態度は神に従って生きようとするダビデに向けられました。

13:3 私に目を注ぎ私に答えてください。私の神主よ。私の目を明るくしてください。私が死の眠りにつかないように。

 彼は、主が彼に目を注ぐことを願いました。目を注ぐというのは強い関心を抱くことです。主は、その御言葉に従う者に強い関心を抱かれます。

 それで、ダビデは、目を明るくしてくださいと願いました。これは、御言葉によって教えられることを表しています。そうして、主の御心に適い、主が目を注いでくださるためです。

 それを、彼が死の眠りにつく前にしてくださるように願いました。そのことは、次節で「私がぐらつくこと」とも言っています。これは、肉体の死を言っているのではなく、彼が御言葉に信頼し続け、主を待ち望むことから離れる死の状態を言っています。

詩篇

19:7 主のおしえは完全でたましいを生き返らせ主の証しは確かで浅はかな者を賢くする。

19:8 主の戒めは真っ直ぐで人の心を喜ばせ主の仰せは清らかで人の目を明るくする。

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 人の目を明るくするものは、主の御言葉です。それは、たましいを生き返らせます。死の状態から回復させるのです。

13:4 「彼に勝った」と私の敵が言わないように。私がぐらつくことを逆らう者が喜ばないように。

 ダビデが躓くことは、敵の求めていることです。敵は、ダビデが躓くことで「彼に勝った。」と言うのです。彼がぐらつくことを喜ぶのです。これは、霊的な躓きのことです。敵は、神に従っている者が躓くことを待ち受けているのです。

・「喜ぶ」→霊的喜び。敵は策略がうまくいったことを喜ぶのです。

13:5 私はあなたの恵みに拠り頼みます。私の心はあなたの救いを喜びます。

 ダビデが依り頼んだのは、主の「恵み」です。この「恵み」は、契約に対する忠誠です。契約を間違いなく履行される主の御名の現れです。神の言葉を求め、従う者に対して、契約を果たされることに依り頼んだのです。通常の意味での「恵み」は、それを施す人の自由意志にかかっていますが、ここでの「恵み」は、契約に基づく忠誠によって施すことを表しています。ですから、強い確信をもって神の救いを待ち望むことができるのです。

 彼の心は、主の救いを喜びます。信仰によって、御言葉に従って生きているのです。それに対して応えてくださる主を喜びとしているのです。なお、これは、救い自体を喜んでいるのではありません。

・「喜ぶ」→霊的喜び。

・「私の心はあなたの救いを喜びます」→私の心は、あなたの救いのうちに喜びます。

13:6 私は主に歌を歌います。主が私に良くしてくださいましたから。

 そして、その恵みが現された時、歌を歌うのは、主に栄光を帰するためです。自分に対して良いことをしてくださったことに対して、賛美したのです。そこには、感謝もありますが、重要なのは、その救いによって、主が契約に対する忠誠を果たされたという主の御名が現されたことに対する賛美なのです。

 今日も、主イエス様は信者に働いて、御自分が生きて働く方として栄光を現されます。そして、「恵み→新約聖書では、あわれみが対応する。:契約に対する忠誠」を現されるのです。私たちは、その主の御名を賛美し、父なる神様に栄光を帰すべきです。全ては、父なる神様が主イエス様を通して行っている業であるからです。