エステル記2章
2:1 これらの出来事の後、クセルクセス王の憤りが収まると、王はワシュティのこと、彼女のしたこと、彼女について決められたことを思い出した。
人間的には、王は、一時の怒りのために自慢の王妃をその位から退けたのです。比喩としては、王が王妃の美しさを人々に現そうとしたのに、彼女がそれを拒んだのであり、イスラエルを通して神の栄光を現そうとしたのに、イスラエルは、罪によってそれを拒んだのです。
2:2 王に仕える侍従たちは言った。「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを探しましょう。
それで、王にふさわしい娘を探すことが提案されました。
「容姿が美しい」ことは、神の栄光を表すのにふさわしいことを比喩として示しています。
「未婚の娘」は、神にだけ自分を捧げる者を表しています。
2:3 王は王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、スサの城の後宮に集めて、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧品を彼女たちに与えるようにしてください。
「役人の任命」は、人々を神のもとに導く伝道者の働きを表しています。
「スサすなわちシュシャンの城」ペルシャ王の邸宅の名前。すなわち、王の家の中に集めたのです。これは、教会を表しています。すなわち神の家です。神の家では、信者たちがどのように行動するかが問題とされます。すなわち、その歩みが評価されるのです。敬虔であることが求められます。
「女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理」ヘガイは、御霊の比喩です。女たちを監督します。王にふさわしい者に変える監督です。王の宦官であることは、神の支配のもとにその働きをすることを表しています。
「化粧品」は、彼女を美しく変えるためのものです。彼女は、王にふさわしく変えられなければならないのです。信者も、キリストと同じ者になり、神のさまにまで変えられる必要があるのです。
2:4 そして、王のお心にかなう娘を、ワシュティの代わりに王妃としてください。」このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。
「王のお心に適う娘」王が求めているのは、自分の心に適う者です。後半にも、「王の心に適った」と記されていて、王の心に適うことが必要なのです。
2:5 スサの城に一人のユダヤ人がいて、その名をモルデカイといった。この人はヤイルの子で、ヤイルはシムイの子、シムイはベニヤミン人キシュの子であった。
2:6 このキシュは、ユダの王エコンヤと一緒に捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。エコンヤはバビロンの王ネブカドネツァルが捕らえ移したのであった。
「モルデカイ」の名の意味は不明。
2:7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわちエステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。この娘は姿も美しく、顔だちも良かった。モルデカイは、彼女の父と母が死んだとき、彼女を引き取って自分の娘としていた。
「姿も美しく、顔だちも良かった」彼女は、選ばれる条件を備えていました。神の選びの基準は、神のみ知ることですが、神の目に適っていたのです。
・「ハダサ」銀梅花。ミルトスから来た名前。
・「エステル」星。
2:8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くの娘たちがスサの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。
「王の命令、すなわちその法令」王の命令は、具体的な法令すなわち言葉として伝えられ、その法令に従って娘たちが王の家に集められたのです。
「王宮」は、王の家です。
「監督官へガイの管理のものに置かれ」聖霊によって歩む者とされました。
2:9 この娘はヘガイの目にかない、彼の好意を得た。彼は急いで化粧品とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女に付けた。また、ヘガイは彼女とその侍女たちを、後宮の最も良いところに移した。
この娘は、召し出された信者の比喩です。その目的は、神の目に適う者に変えることです。その働きは、精霊の働きです。また、信仰によって心のうちに住まれるキリストの働きです。
・「ヘガイの目にかない」聖霊の目に適ったのです。聖霊を悲しませることも、消すこともできますが、彼女は、聖霊の好意を受ける人でした。聖霊が思いのままに働くことができたのです。
・「急いで」十二か月あるのですから、急ぐ必要はないのですが、それだけ聖霊は、彼女を通して働くことを望まれたことを表しています。
・「化粧品」すぐに彼女を変える働きに着手したのです。
・「ごちそう」真の食物は、キリストです。キリストを食べ、飲むことすなわちこの方を受け入れ、知ることは、その人を変える方法です。キリストの愛を知ることで神のさまに変えられるのです。
エペソ
3:16 どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。
3:17 信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
3:18 すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
3:19 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。
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「七人の侍女」この女たちは、王宮から選ばれた者たちであり、王の家の者です。これは、地上における監督者を表しています。彼らは、羊の牧者であり、仕える者です。
・「後宮の最も良いところ」霊的に良いところ。
テモテ第一
3:13 執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです。
「立派に」→「良く」副詞。
「良い地歩を占め」→「良い(もの)を保ち」良いは、形容詞。地歩という地位として解釈しているが、原語にそのような意味はない。また、集会(教会)にそのような地位のようなものはない。この「良い」は、神の目に適っていることの意味で良いのです。「良い(霊的状態)を保ち」立派に仕えることは、良い状態で仕えることですが、そのような人が「良い」霊的状態を保つことができるのです。
執事として立派に仕えた人は、良い仕え方をしてきた人です。その人は、神の御心に適って行動するということを訓練されてきた人です。そのような人は、神の御心に適ってこれからも良い状態を保ち続けるのです。
さらに、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い信頼を持つことができるのです。確信と訳されていますが、信頼する点における確信です。
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2:10 エステルは自分の民族も、自分の生まれも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはいけないと彼女に命じておいたからである。
2:11 モルデカイは毎日、後宮の庭の前を行き来し、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。
2:12 娘たちは、女たちの規則にしたがって、十二か月の期間が終わった後、一人ずつ順番にクセルクセス王のところに入って行くことになっていた。準備の期間は、六か月は没薬の香油を、次の六か月は香料と女たちのための化粧品を用いて化粧することで、完了するのであった。
娘たちに用意されたものは、信じた者が神の前に相応しい者として変えられることを表しています。初めは、自分に死ぬことから始まります。すなわち、肉を殺すのです。その上で聖霊によって歩みます。そして、今度は、神の御心を行い、良き香りを放つ者として歩みます。実績が必要なのです。そのようにして、神にふさわしいものに変えられるのです。化粧のように、自分自身を現す者ではなく、キリストの麗しさを現す者と変えられるのです。
・「十二か月」「準備の期間」神の支配。神のもとにあって訓練を受けることを表しています。神の前に出るでは、神に従って生きるのでなければ、ならないのです。自分の思いのままに生きて、訓練の期間とすることはできません。
・「六か月」人としての歩みにおいて受ける訓練。
・「没薬の香油」没薬は、死を表しています。それは、自分に死ぬことです。聖霊に従うことは、自分に死ぬことです。香油は、そのように、自分に死ぬことで香りが放たれるのです。聖霊が働き、神の御心を行うからです。
・「香料」神の御心を行うことで香りを放つ。
「化粧品」王にふさわしいものに変わること。
2:13 このようにして、娘が王のところに入って行くとき、その娘の願うものはみな与えられ、それを携えて後宮から王宮に行くことができた。
2:14 娘は夕方入って行き、朝になると第二の後宮に帰ることになっていた。そこは、側女たちの監督官である、王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王が気に入って指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。
王の心に適わないならば、二度と王の前に出ることはできませんでした。
2:15 さて、モルデカイが引き取って自分の娘とした、彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である、王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。
彼女は、自分を主張することはなかったのです。自分の願いを満たすことに関心はありませんでした。そのことは、全ての人の目に好意を受けることでした。これは、自分を捨て、聖霊の与えるものしか受け取らなかったことの比喩です。
・「王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった」とあり、彼女は、自分の願う者を何一つ携えていませんでした。
2:16 エステルが王宮のクセルクセス王のもとに召し入れられたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。
彼女の成熟度についてその数字で示されています。彼女は、完全な者となりました。これは、すべての信者が到達すべきところなのです。肉を殺し、聖霊によって歩み、キリストと同じ完全な者になることは不可能だと考え、初めからそれを求めないことは誤っています。
・「第七年の第十の月」七は、満たす意味での完全。十は、到達点を表し全きことを表す。
2:17 王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。
彼女は、聖霊に導きに従って、歩み、王にふさわしく帰られたので、王の目に適い、この上ない徹底的な栄光を受けたのです。
・「王の」→王の目に。
・「好意」→王の目に適った。
・「寵愛」→契約を忠誠もって果たすこと。旧約聖書では、通常「恵み」と訳されている語で、契約に対する忠誠を意味します。多くは、神の行為ですが、人にも当てられることがあります。ここでは、王の目に適うかどうかが、判断基準で、王の目に適ったので、王の目に適ったものに与えられる祝福を徹底的に与えたことを意味しています。
・「王冠」彼女栄光を与えたこと。
2:18 それから、王はすべての首長と家臣たちのために大宴会、すなわちエステルの宴会を催した。諸州には免税を布告し、王にふさわしい贈り物を配った。
彼女の大宴会が用意されました。首長と家臣たちのための大宴会です。これは、御使いのためです。人が神の目に適う者に変えられることは、御使いに対して神の栄光を示すことになります。
・「エステルの宴会」彼女の栄光を知らしめる宴会。
ヘブル
12:22 しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、
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・「喜びの集い」→祝会。
・「免税」王に納めるべき役割がそのとき終わること。地上の歩みの終わり。
・「王にふさわしい贈り物」神の報いのとき。
2:19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところに座っていた。
ここからは、別の比喩が始まります。もるで会は、王の門のところに座っていましたが、それは、裁き司の比喩です。彼は、王として来られたキリストの比喩です。
・「娘たちが二度目に集められたとき、」その後のことです。
・「王の門のところに座っていた」未だ王ではありませんが、王として地上に来られたイエス様の比喩です。
2:20 エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、自分の生まれも自分の民族も明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた。
「養育されていたときと同じように、彼の命令に従っていた」人として歩まれていたイエス様を王として認め、キリストと受け入れた人々の姿を表しています。キリストが栄光の姿を持って現れる以前の状態です。彼女は、命じられた命令を堅く守ったのです。
2:21 そのころ、モルデカイが王の門のところに座っていると、入り口を守っていた王の二人の宦官ビグタンとテレシュが怒って、クセルクセス王を手にかけようとしていた。
2:22 このことがモルデカイの知るところとなり、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。
2:23 このことが追及され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。
教会がキリストに従う面から比喩が示されます。キリストは、教会を通して働かれるのです。キリストが悪を正されたことは、エステルの働きとしてなされました。しかし、王に対しては、モルデカイの名によって告げられたように、その全ての働きは、キリストによることを言い表すことで、キリストの栄光が現され、神に栄光が帰されるのです。
その働きは、年代記の書に記録されました。神の前にキリストの働きが覚えられるのです。教会を通してなされた働きが、後に、キリストの大いなる栄光となるのです。